実親と継親の関係が
親子関係を左右する?
一方、継親といい関係を築いた人たちもいます。
アキさん(仮名・20代)は、小さい頃に両親が離婚したのち父親に引き取られ、主に祖母の手で育てられてきました。祖母は太平洋戦争のさなか、実の両親と生き別れになった経験があったためか、アキさんが遠方に住む実母に会いに行くことを積極的に応援し、毎年、旅費を出してくれていたといいます。そのためアキさんは、実母ともずっと、交流を保つことができました。
父親が再婚したのは、アキさんが大学生のときでした。アキさんはこの再婚相手の女性を「2ママ(2番目のママ)」と呼んでいます。年齢が比較的近いこともあり、アキさんは2ママと仲がよく、さらになんと、2ママと実母も仲がいいといいます。おおらかな人たちで、驚きます。
数年前にアキさんが結婚式を挙げたときには、実母も2ママも、当然出席。もうじきアキさんは出産予定ですが、子どもが生まれたら、2人とも手伝いに来ることは間違いなさそうです。
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さらにもうひとり、みきさん(仮名・20代)は、小学生のときに両親が離婚。中学校に入るとき、母親がみきさんを連れて再婚しました。妹は、継父と母親の間に生まれています。
家族構成は、先にあげたエミさんやはるかさんと近いですが、しかしみきさんの継父は、暴力や暴言で彼女を傷つけることはありませんでした。主夫だったせいもあるのか、非常に教育熱心で厳しかったそうですが、実子である妹と区別することはなく、みきさんは「かわいがられていた」と、はっきり感じています。
みきさんも、実父とはずっと交流が続いていました。実父は継父とは対照的に「ほめて伸ばす」タイプで、みきさんが好きな本などをよく買ってくれたそう。数年前に病気で亡くなるまで、よく会っていたといいます。なお、みきさんの母親はその後、継父とも別れてしまったのですが、みきさんはいまも、継父と交流があるということです。
こういった例を思い返すと、子どもが親の再婚後も実親と交流していることは、子どもと継親の関係にとってもいいように感じられます。
もちろん例外もあって、実親と交流が失われていても、継親子がいい関係を築いたケースもまあまあ思い当たります(子どもが実親に会いたがっていない場合など)。でも、逆に継親が子どもに虐待するケースや、つらく当たっているケースで、子どもと実親の交流が続いていた例は、少なくとも筆者が知る限りでは思い出せませんでした。
見方を変えると、子どもが望んでいるなら、実親との交流を妨げないような継親が、子どもといい関係を築きやすい、というふうにもいえるかもしれません。
子育ては、「親」として、決してラクなことではありません。特に幼い子どもの育児は手がかかりますし、忍耐もいるし、衣類の買い替えや食費、教育費などお金もかかります。「自分の子どもだ」と思えば、それは当然のこととして受け入れられても、自分の子どもではないのに「親」の役割を求められるのはつらい――。内心で、そう感じている継親も少なくないように思います。
そんなとき、子どもが実親と交流を続けていると、継親は「親」としての役割、プレッシャーから多少とも逃れることができ、余裕をもてるのではないでしょうか。
継親は「(実の)親」にとってかわるものではない、という考え方は、欧米ではもうだいぶ浸透していますが、日本ではまだあまりなじみがないでしょう。子どもがいるパートナーと再婚した人は、「自分が子どもの親にならねばならない」と気負いがちです。
でも、子どもには実親がいるのです。継親はそう思っていたたほうが、子どもにつらく当たることを減らせるのではないでしょうか。
大塚玲子(おおつか・れいこ)
「いろんな家族の形」や「PTA」などの保護者組織を多く取材・執筆。出版社、編集プロダクションを経て、現在はノンフィクションライターとして活動。そのほか、講演、TV・ラジオ等メディア出演も。多様な家族の形を見つめる著書『ルポ 定形外家族 わたしの家は「ふつう」じゃない』(SB新書)、『PTAをけっこうラクにたのしくする本』『オトナ婚です、わたしたち』(ともに太郎次郎社エディタス)など多数出版。定形外かぞく(家族のダイバーシティ)代表。