自分を守るために学校に行くことをやめた

 この時期、矢部の母親は3度目の結婚をしていたのだが父親はささいな理由で母や子どもたちに暴力をふるっていた。学校に行けばいじめられる、家では親に相談もできない。そんな矢部が自分を守るためにとった行動とは──。

学校に行くことをやめました。ただ、何もしないで学校を休めば親にバレるので、家を出てから私服に着替え、公衆電話で“ちょっと具合が悪いので休みます”と学校に電話をして、駅のトイレにずっとこもっていました。それで、みんなが下校するちょっと前に制服に着替えて駅から帰宅。私、暗かったけど、けっこう行動力があったんです(笑)」

 そんな彼女の心のよりどころがアイドルだった。

「ラジオを聴いたり、アイドル雑誌を買って読んだり、手紙を書いたり。この人たちが私を守ってくれているという意識でした。このアイドルたちがいる東京に行きたい、ここじゃない場所に行きたいってずっと思っていました」

自分の3年先を思い描いて

 小学生のころからオーディションを受けていたという彼女だが、中学生になってからその数は増えていった。

「北海道から東京に行けば、自分をいじめていた子たちを見返せる、って。そんな気持ちがあったから絶対、学校では泣かない、涙を見せないって決めていました。

 いちばんつらかった中学1年生のとき、どんなにいじめられても“自分の3年先を見たい”ってずっと思っていて。その3年で東京へ行けて、ましてや芸能人になれるなんて保証はなかったけど(笑)“今に見てろ”って。いま思えば芸能人になるというより、そこを逃げ道として“違う世界”に行きたいと思っていたんですね」

 いじめからの“逃げ道”を作ることが、自分自身を守ることにつながる、と話す矢部。

「私は“逃げ道”がアイドルでした。家でも学校でも大変だったし、正直言えば自殺したいという衝動にかられたこともありました。3年先を見たい、と思っていなかったら我慢できなくなって死を選んでいたかもしれないけど、私は好きなことと、憧れに救われたんだと思います」