正反対の2人が「友人」……?

 Sさんのおかげでシッター事情はなんとなくわかった。「虐待」「対立」といった文言は世間の目を引くが、実は私が最も驚いたのは、華原と高嶋が「友人である」という点だった。広くとらえるなら、ふたりとも音楽業界のプロフェッショナルという共通点はある。あるが、どう見ても仲よしになる要素は見当たらない。

'20年2月には親友だったふたり。華原がフォローしているのは高嶋ひとりだけだった(インスタグラムより)
'20年2月には親友だったふたり。華原がフォローしているのは高嶋ひとりだけだった(インスタグラムより)
【写真】報道陣の前で!? 手を繋いでラブラブな華原朋美と小室哲哉

 華原は時代と流行と周囲の人間に翻弄され、主語がないままに芸能界を泳いできた人という印象がある。同じ時代を築いた歌姫・安室奈美恵は、自分の足ですくっと立ち、自己を確立していった感があるのに対して、華原の場合はどこか不安定で、主語を奪われたというか、失ってきたようなイメージ。こういっちゃなんだが、幼さと甘えが漂う。
 
 一方、高嶋は真逆。もう、主語は「私」どころか「俺」に近い。ヴァイオリニストとしての活躍はもちろん、バラエティー番組でのバッサバサとぶったぎって俺流を貫く姿といい、わが道を「大股歩き&仁王立ち」で行く人だ。

 脳内体育会系というか、甘えを一切許さない独特な家庭運営法は、モヤモヤと悩むお母さんたちに少なからずの勇気を与えてきた。バッシングもあっただろうが、竹を割ったような性格、いや、竹を割ったらカミソリ生えてたくらいの強烈なキャラクターは、バラエティー番組でも引っ張りだこになったのだから。
 
 え、このふたりが友人……? 華原が一方的に高嶋を慕っていたような気もしないでもない。高嶋のInstagramの文言(よく読むと辛辣)と写真を見ても、妙に懐かれている気配が漂う。

 そして今回の虐待報道。高嶋はうっかり火の粉が降りかかったというか、巻き込まれた印象を私は受けた。とばっちりを受けたが、逆にこれで縁が切れると安堵しているのかもしれない。ちさ子危うきに近寄らず。厄介払いという文字が頭に浮かぶ。

 そして華原はその後、YouTubeのチャンネルを開設……。なにやら仕掛けの香りが匂う。芸能人がYouTubeを始めたくらいでは昨今ニュースにはならない時代。しかし、そこに「対立の構図」という魔法の粉がまぶされると、あっという間に話題になる。真相を知りたい人とメディアの人間がチャンネル登録。これを仕掛けと呼ばずに何と呼ぶ?

 キナ臭さ漂うものの、その仕掛けに意地汚くのっかるよ、あたしゃ。

 華原のYouTubeは「THE・不安定」そのもの。眉毛はぶっとく描かれ、左右非対称の日もあれば、すっぴんで呂律が怪しい日もある。ハンバーガー食ってたかと思えば、未だ衰えぬ高音ビブラートで歌うときもある。編集はほぼしておらず、だらだらとしゃべり、ペットの犬に幼児語のアテレコ(かなり激痛)をしたり、急に昔のことを匂わせる発言をしたり。「レジ打ちでもやろうかな」発言で、「レジ打ちという仕事をナメている」など開設数日でプチ炎上する快挙も。