信頼できる親分との親子以上の絆
身の危険を感じた鈴木さんは、大阪に逃げた。そのとき、何も言わずとも間に入り、話をつけてくれたのが西成に本部を置く東組の本部長(※当時)で、実話誌時代からお世話になっていた赤松國廣さんだ。「もう睡眠薬に頼らんでええで。そのかわり、被害届だけは取り下げや」。この言葉に安堵(あんど)した鈴木さんは、どのラインを越えたら危険が及ぶのかを身をもって知った。
「赤松さんは心の底から信頼できるヤクザでした。10年ほど前に病気で亡くなったのですが、その1か月ほど前に東京に出てこられて、後楽園ホールのバーで飲んだのが最後です」
愛妻家だった赤松さんは、さまざまな席に夫人の久美子さん(68)を伴った。そんな縁もあり、赤松家と鈴木さんの付き合いは今も続いている。
「鈴木くんと初めて会うてから25年ぐらいやな。お父さん(夫)と気が合うのか、親子以上の感じでした。お父さんは男の人は絶対に自宅に入れへんのやけど、死ぬ前に自宅の1室を改装したんですわ。『これ、鈴木君の部屋にしたってや』って。お父さんが亡くなってからもよう気にかけてくれはります。この間は、雑誌がコンビニに置かれへんようになってきたみたいな話になったから、『小説でも書きーな』言うてんけど」
そう語る久美子さんの隣で、「もっと、ええエピソードあげーや」と、つっこみを入れるのは、長女の久栄さん(48)だ。
「うちの父親は引退したら小説家になりたいぐらい物書くのが好きやったから、逆にうれしかったんやと思う。鈴木くんがまだペーペーやったころ、2人してひと晩中、『こうやって書いたらええ』なんてやっててね。鈴木くんも、自分が物書きで食べられるようになったのは親分のおかげやっていつもゆうてくれて、今でもこっち来たら、ウチの家族ごとご飯に連れて行ってくれてやるわ。ほんま、義理堅いで」
人間くさくて感情が極端に出る存在
今まで、総勢500人以上の暴力団関係者を取材してきた。暴力について書こうと思った日から今日までの数十年の間に、鈴木さんがヤクザに抱くイメージも、彼らのあり方もその都度、変化している。
「実は、ヤクザの暴力をあまり体験していません。彼らは仲間にはとても優しいんです。考えてみれば、こっちは取材する側で、向こうはよく書いてほしいわけですから当然ですよね。それもあって、最初はヤクザに酔うんです。けど、長い年月がたつと、やはりヤクザは信じきれないということがわかってくる。
ですから、すぐにのめり込んで、『この人好き!』となってしまうタイプの人はまずい。ハイハイ言っていると、使い走りにされてしまうし、ヤクザを褒めまくるライターが書くことなんて信用できないですよね?」
取材が一段落着くと、上げ膳据え膳の接待が待っているのがヤクザの世界。それを受け入れる書き手もいるが、鈴木さんは「付き合いが悪い」と言われても断って帰る。一線を引くことが大切だというポリシーがあるからだ。一方で、書く側に軸がないと、たやすくからめとられてしまうほど、ヤクザはある種、魅力的な存在でもあるのだろう。
「実話誌時代に取材をさせてもらった親分は戦中派で、敗戦がなければヤクザにはなっていなかったであろうインテリも多かった。ですから、それなりにヤクザ関連本を読み漁って話を聞きにいくわけですけど、思い上がりをコテンパンに打ち砕かれることも多かったですね。
ヤクザって、いい意味でも、悪い意味でも人間くさいんですよ。彼らは嫉妬に狂うし、憎いと思ったら殺してしまうし、これは人の道に反しますってときはわれ先に頷(うなず)く素直さもある。人間の感情が極端に出るんです」