河合奈保子に突きつけた“挑戦状”

 そして、河合奈保子は'83年6月に、通算13作目のシングルとして筒美作品『エスカレーション』(作詞:売野雅勇、編曲:大村雅朗)を発表する。それ以前からもオリコンや『ザ・ベストテン』の常連となっていた彼女だが、竹内まりや、来生たかおなどのシンガーソングライターが描く等身大の世界から、大胆すぎるビキニや銀色ピアスを身につけるという“挑発路線”の歌詞と、歌唱力を生かしたダイナミックなメロディーに大きくシフトチェンジそのインパクトから、自身最高のレコード売り上げ(約34.9万枚)となった。ちなみに、これは中森明菜のヒット曲『少女A』の作詞家としても有名な売野雅勇×筒美京平コンビ初のTOP10ヒットとなる。

 ただ、筒美さんは、さらに楽曲がスリリングに展開する『唇のプライバシー』など奈保子には難解な方向に突き詰めていったためか、また、売野の歌詞も《(彼との体験は)初めてだけど (恋愛体験は)初めてじゃない》など、やや翳(かげ)りのある作風が増えたためか、セールスは先細りに。

 それでも、'85年のシングル『ジェラス・トレイン』は奈保子に「これでもか!」と挑戦状を叩きつけたように思えるほど全体に音域が広く、歌の途中で絶唱気味のフェイクが入るなど、難しさを極めている。こんなにハイレベルな曲をサラリと歌ってしまうところも、奈保子の魅力が一般リスナーに伝わりづらい部分だったのかもしれないが、歌謡曲ファンの間では「普通のアイドルでは到底、歌えない」と語り草になっている。

 このように、三者三様の筒美作品を歌った後、早見はロックやユーロビート、小泉は、自作詞やエッジの効いたクリエイターとのコラボ、そして、奈保子は作曲を手がけるシンガーソングライターへと、より音楽制作に前向きに取り組むようになる。この流れは「一流の作品を歌うことで、音楽の楽しさに目覚めさせる」という“筒美マジック”の別の効能もあったからこそ、生まれたのではないだろうか。小泉は筒美さんの訃報のあと、名前は出さなかったものの《歌を聴くこと、歌を歌うことは楽しいことで、心を豊かにすること》《ただただ感謝》と自身のツイッターでつぶやいている。

 数少ないメディア露出の中で筒美さんは「常にヒットを狙っていた、ヒット曲しか頭にない」と、しばしば語っていた。それは一見クールな戦略家のようだが、決して独善的ではなく、多くの人に音楽の楽しさを届けようと、誰よりも音楽を愛していたからこその発言だったのだろう。

 つまり、筒美京平作品には、作り手にも歌い手にも、そして我々聴き手にも、いっぱいの愛情が込められているのだ。

(人と音楽をつなげたい音楽マーケッター・臼井孝)