“失われること”の一例として、「著作権などの権利関係」と話すのは、前出の宝泉さん。
「自身の分身である子どもに幸せになってほしいと願うわけです。夫がいて揉めようものなら、自身の財産はもちろん、権利関係がもともと他人である夫に奪われてしまう可能性もある」(宝泉さん)
そういったリスクを考慮したとき、酸いも甘いも嚙み分けた彼女たちがわざわざ結婚するか─と考えると自発的に未婚の母を選んだこともなんだか腑に落ちる。
「浜崎は顕著ですが、20代の人気絶頂期にこういった決断はできない。彼女はエイベックスの株価を左右するほどの人気者でしたから、彼女の一存で決めることは難しかったはず。
ですが、今は年齢を重ね事務所内での立ち位置も変わった。自由な決断ができる立場にある。さまざまなタイミングが重なっての選択だったのではないか」(宝泉さん)
未婚の母ではなく夫不要婚と呼ぶべき!?
「“未婚の母”という響きが、いかにも“かわいそう”とか“気の毒”という印象を与えているように思う。シングルマザーといっても人それぞれ。多様なケースが存在する今の時代に、未婚の母と呼び続け、くくってしまうのはいかがなものか」
そう吉田さんが指摘するように、未婚の母と聞くと「ワケあって結婚できなかった不憫な女性」というイメージがいまだある。だが、2013年7月、『報道ステーション』に出演し、女児を出産していたことを公表した安藤美姫の姿は、そんなイメージを払拭するほどのインパクトだった。
「彼女は世界を転戦するアスリートでしたから、欧米の結婚事情などについても明るかったのでしょう。マスコミのおもちゃにされないように、未婚の母が社会的選択であるという印象を与えたことは大きかった。自らオープンにすることでプライバシーを守ることができる」(宝泉さん)
メディアは安藤の父親探しに躍起になったが、その様子はかえって世間のひんしゅくを買い、「家族の問題。余計な詮索はするな」といった論調が高まっていく。
「沢田亜矢子のときは、父親を特定しようと周囲を嗅ぎまわるマスコミの動きに同調するように、世間も面白がっていた。しかし今は、シングルマザーがスキャンダルにならない、できない時代。ひとつのライフスタイルとして確立している」(宝泉さん)
たしかに、未婚の母だろうが、おめでたには変わりはない。生き方の自由が尊重されるべきであり、子どもを自らの意思で産む女性たちを称えることはあっても、非難されることはあってはならない。
さらには、詮索すればするほど子どもを巻き込んでしまう。自らの意思でなった未婚の母は、ある種アンタッチャブルな存在と言えるかもしれない。安藤美姫の爆弾公表は、彼女たちに対する世間の目を変えた出来事だった。