その「ひと言」で
傷つく人たちがいる
こうした体験を先日Twitterに投稿したところ、主に女性から「自分も似たような経験をしたことがある」といった共感の声が多く寄せられた。
一部の男性から、人間としてではなく「女」としてしか扱われないこと。仕事上の知人男性に既婚者であることを告げた途端、相手があからさまに態度を豹変させ、自分を無下に扱うようになったこと。ナンパを断っただけで、去り際に罵声を浴びせられたこと。
そんな経験を積み重ねてきた女性が「自分に性的な興味を持つ男性」を避けて身を守ろうとすると、さらなる攻撃を受けてしまう。そんな声がいくつも上がった。
全員が全員そう考えるとは全く思わないが、少なくとも私は「この煩わしさから解放されるなら、いっそのこと“女性性”を捨ててしまいたい」と考えたことが何度かある。
今では気に入っているが、髪を短くし始めたのも、身体のラインが出にくいメンズの服を好んで着るのも、気が強く見えるようなメイクをしているのも、元々はすべて、自分を守るための「武装」だ。
他人の性的指向やセクシャリティを「自分に都合のいいように」解釈したり詮索したりする行為の暴力性について怒りを覚えた一方で、自分自身の過去の言動をひとつひとつ振り返ってみると、残念ながら「自分がこうした類の暴力に加担したことがない」と胸を張って言い切ることはできなかった。
学生のころ、私と同じように恋愛や“女性関係”の話題に乗らなかった知人男性が、コミュニティ内で「早く『ゲイだ』って認めろよ」と囃し立てられているのを、ただ何もせず見過ごしてしまったことがある。
また5年ほど前には、理不尽なアウティング(第三者が本人の了解を得ずに、公にしていない性的指向や性同一性等の秘密を暴露する行動)の場に居合わせたとき、私は被害に遭った彼の代わりに暴露を制止することも、その場で抗議することもできなかった。
どちらのケースでも、当時の私は「いま目の前で、何が起きているのか」をすぐに認識することができなかったのだと思う。直接誰かを傷つけることはなかったかもしれないが、私はあのとき、自分が何もできなかったことを今でも後悔している。
だから今は、無自覚に誰かを傷つけないよう、理不尽な暴力に加担してしまわないよう、ジェンダーやセクシャルマイノリティにまつわる(それだけではないが)差別のあらゆるケースについて積極的に情報を集めたり、学んだりしつづけている。
幸い、学問として大学でジェンダーを学んでいた友人や、いわゆる「マイノリティ」とされる当事者の友人が近くにいるおかげで、物事を考えるうえでいろいろな視点からアドバイスをもらえることがありがたい。
誰も傷つかない世界などないかもしれないけれど、知識さえあれば、他人を傷つけなくても済むことがこの世にはたくさんあると思う。そうした意識を少しずつでも、例えばこの文章を読んでいる人のなかのたった一人とだけでも、共有して広げられないかと期待している。
吉川ばんび(よしかわ・ばんび)
'91年、兵庫県神戸市生まれ。自らの体験をもとに、貧困、格差問題、児童福祉やブラック企業など、数多くの社会問題について取材、執筆を行う。『文春オンライン』『東洋経済オンライン』『日刊SPA!』などでコラムも連載中。初の著者『年収100万円で生きる ー格差都市・東京の肉声ー』(扶桑社新書)が話題。