行政の指導は効果がなかった。立ち入り調査権限が強化された法改正後の7月下旬、再び苦情が来ていたこともあって県と市の職員計4人で室内に入っている。しかし、このときは「明らかな虐待とは言い切れない」と判断している。
「犬たちは落ち着いていて、噛み付くといった攻撃性もありませんでした。若干痩せている犬はいるものの、標準的な体型の犬が多かったんです。正確な頭数は数えられませんでしたが、室内に80匹以上いることを確認しています」(前出の中村リーダー)
タライには飲み水が張ってあり、エサの空き缶がゴミ袋にまとめて捨ててあるなど給餌をうかがわせる物証があったという。
しかし、狭い室内に詰め込まれ、ひもじくて糞を食べるような状態が、虐待に当たらないという判断は間違っていたのではないか。
「立ち入り時には糞尿は片付けられていて、犬のからだにウンチがこびりついていることもありませんでした。痛めつけるような虐待はなく、世話を放置してもいません。スペースがいちばんの問題で、明らかに不適切な飼育ではあるけれども、告発するまでには至らないと判断しました」(前出の中村リーダー)
県によると、7~8月に何度か訪問指導して飼育実態を確認したところ、登録済みの犬は2匹だけで、予防注射を受けた犬は1匹もいなかったという。
事態を見かねた地元の動物愛護団体が動いた。飼い主一家と話し合い、不妊・去勢手術について『どうぶつ基金』に支援要請してはどうかと県にアドバイスした。
県薬事衛生課の田原研司課長は言う。
「飼い主はその後、指導に従って順次登録を進め、自費で注射を受けさせています。地元の動物保護団体の大きな協力を得て、状況改善に全力を挙げているところです」
174匹との同居生活について家族は
それにしても、飼い主一家は生活しにくくなかったのか。
現場宅に近寄ると、マスク越しに悪臭が鼻をつく。事情を知る住民によると、この秋に地元の動物愛護団体が排せつ物の掃除などを行い、ずいぶん臭いは抑えられたという。
近所の女性はこう話す。
「母親は特に犬好きみたいで、夫に向かって“あんた、犬を蹴るということは私を蹴っているのと同じなんだからね!”と怒鳴り声が聞こえたこともある。父親も基本的には犬が好きで、片付けた糞を手押し車に乗せて親戚が所有する畑までよく埋めに行っていた。ところが母親も父親もこの夏に倒れてしまい、娘さんひとりでは手が回らなくなったようです。臭いも鳴き声もないに越したことはないが、あの家族はやれることはやっていたと思いますよ」
娘はこの家から毎日出勤しており、留守中の犬を世話する働き手はほかにいなかったようだ。
約40年、どこが飼育崩壊につながるターニングポイントだったのか。174匹との同居生活はつらくなかったか──。
自宅を訪ねると、娘が玄関先に出てきて「動物愛護団体にすべて任せているので私の口からは話せません」と言うばかり。
代わりに『島根動物愛護ネットワーク』の西原範正代表が答える。
「急に頭数が増えた時期は記憶が曖昧らしく、ターニングポイントは明確ではないそうです。一家では犬を世話しながら暮らすのが何十年も続く日常だったので、不便に感じることはあっても、つらいと思ったことはないそうです」