萩本「ありきたりな答えをするんじゃないよ」
「でも、衣装はパジャマ(笑)。寝る前に歌うって設定でしたからね。キラキラしてる衣装を着ているアイドルのみなさんがうらやましいなって思いましたね。当時は歌番組でシブがき隊とか少年隊の横にキョンキョンとか明菜ちゃんとか座ってるとすごいブーイングが起こるんです。
でもわらべが座っていてもそんなことはなくて(笑)。ほっこりした気持ちで、本当に自分の娘とか孫とか、そういう感じで見ていてくれた人が多かったんじゃないかと思います」
勢いを受けて出すことになった2枚目のレコード『もしも明日が…。』は、前作を上回る売れ行きを記録。
「お兄ちゃんとか関根(勤)さんのコーラスがバックに入るんですけど、お兄ちゃんの歌が下手すぎて、私たちは1日でレコーディングしたのに、お兄ちゃんは2日間かかった、なんてこともありましたね(笑)。
このときも、お父さんが“この曲はすごい。めだか抜いちゃうね”なんて、ひとりだけ自信満々だったんです。正直なところ、曲調がちょっと暗い感じですし、 “そこまでかなぁ~?”なんて思っていました。でもこれもお父さんの予言が大当たり。その年のオリコンチャート年間1位を獲得したんです」
歌番組に出るとき、歌の練習より優先したことがある。
「司会者の人との掛け合いを徹底的に練習していました。もちろん、お父さんの指示です(笑)。当時、アイドルは“ハイ、ハイ”って頷いていればかわいいっていう時代だったのに、“ありきたりな答えをするんじゃないよ”って言われてトークの稽古。いつだったか、お父さんに“たまえは笑われてるんじゃない、笑わせてるんだよ”って言われました。その言葉で前向きになれた気がします」
高橋は“萩本と過ごした時間が今も活きている”と、こう話す。
「お父さんで育っているから、谷啓さんとか伊東四朗さんとか、お父さんと近い世代の人とお仕事をさせてもらうとき、はじめから信用していただけているんです。芸の基礎はちゃんと仕込まれているだろうって。柴田理恵さんにも、“あんたなら大丈夫!”って太鼓判を押されました(笑)」
欽ちゃんから、今も強く信頼されているようだ。