活動の原動力は「娘への、母としての思い」
プライベートでも君江さんは明るく活発だ。友人たちとおいしいお店で食事を囲み、ショッピングも楽しむ。タップダンサーである娘の美憂さんがニューヨークの舞台に出るとなれば、応援に駆けつける。同級生の大桐さんとの友情は続き、今も家族ぐるみで旅行に出かける仲だ。
「2年前には、君江ちゃん夫婦と娘さん、そして私たち夫婦の5人で台湾に行ってきました。君江ちゃんは海外経験が豊富ですからね。旅行先では事前にいろいろ調べてくれていて、本当に何も支障がないくらいスムーズに過ごせました。主人同士も仲よくさせてもらっていて、ありがたいです」(大桐さん)
爆発事故に遭い、車椅子生活になって6年がたった'13年11月17日。東京・田町のダイニングバー「ガーディアン」でNPOの発足パーティーを開催した。
貫さんをはじめ、企業の代表や、NPOの発足前から応援してくれている人たちなど大勢が参列する中、娘の美憂さんは司会を務める克明さんに促され、最後にステージに上がり、こんな挨拶をした。
「ママが車椅子になったことは残念だったし、ショックだった。でも、車椅子にならなかったら、こんなにたくさんの人たちに出会うこともなかったし、こんなにたくさんの人がママを応援してくれることもなかった。ママ──、車椅子になってよかったね」
会場にいた事務局の丸山順二さんが言う。
「美憂ちゃんも泣いていました。会場を見回すと、参列者全員が泣いていました」
君江さんの活動が広がりを見せる中、克明さんはよく周りから、「旦那さんのサポートがあったからでしょう」と言われるらしい。
「僕はそうじゃないと言います。やっぱり君江が強いから。人間的な強さというか、母としての力、娘だけには心配させたくないし、悲しい思いはさせないという一心が根本にあるんですね。それがトレーニングだったり、ココロのバリアフリーの活動だったりにつながっている。いちばんの原動力は、母としての強さなんじゃないかな……」
事故から13年の月日が流れ、被害者だった君江さんは、半身不随というハンディキャップを原動力に成長を重ねた。多くのことを経験し、どんどん人を巻き込み、その渦の中心にいる──。
神様はときに、こんなシナリオを用意することもあるのだ。
(取材・文/小泉カツミ)