父とはその後、手紙のやりとりをしていた。「勾留が長くなってつらいだろう」と書いてあるのを見て、冷たくて非人間的だと思っていた父に意外な思いやりがあることを知った。

 ただ、彼にとって留置所にいるのは「実家にいるより精神的にはラクだった」という。余罪も出たものの、結局、執行猶予がついて釈放。彼女とは必然的に別れたが実家には戻らず、元いたアパートに帰った。

自分を責めてばかりいるのはやめよう

 窃盗症というのは精神障害の一種だと言われている。緊張感と達成感がないまぜになり、やめられなくなる。彼はきっぱりとやめたのだが、その反動なのか、うつ症状や対人恐怖などさまざまな症状に苦しめられ、30代はクリニックへ通うだけの日々。そして40代になり、仕事をしようと決断する。

「働けるなら働いたほうがいい。そのほうが真っ当だとずっと思っていました」

 就労支援でパソコンを覚え、ハローワークに通って某大学の研究室で書類の仕分けとファイリングをする職を得た。工夫をこらし、誰もがわかりやすいように書類を片づけていくのは気持ちがよかったという。10年近く仕事を続けたが1年前、「これを続けてどうなるのか」という思いが強くなって退職。

「仕事を辞めたらいろいろなことをしなければと思っていたけど、結局、何もできませんでした。筋トレと自炊だけを自分に課してきました。でも朝きちんと起きることもできず、自分を責めてばかり。ここへきて、ようやく自分を責めてばかりいるのはやめようと少し思えてきたところです」

 彼の言葉が当事者会で光を放つ場面を、たびたび目にしてきた。抑圧されてきた子ども時代、一気に爆発した30代があり、仕事をした40代を経て、彼は今、ようやくフラットな場所に立っているようにも思える。専門家でもない私が言うのは僭越(せんえつ)だが、ここから彼が「自分」を生きていくことはできるのではないか。転換点にいるのではないか。そんな気がしてならない。


かめやま・さなえ 1960年、東京生まれ。明治大学文学部卒業後、フリーライターとして活動。女の生き方をテーマに、恋愛、結婚、性の問題、また、女性や子どもの貧困、熊本地震など、幅広くノンフィクションを執筆