「死んでやるからね」という母からの脅迫
平田 ご両親の力関係はどういう感じだったんですか。
ぼそっと 父は母には逆らえなかったですね。
平田 うちは夫婦関係では私のほうが強いんだけど、夫は息子には厳しかった。夫は努力して勝ち得てきたと実感している人なので、公園でサッカーをやっても、「どうしてできないんだ」と怒りだす。息子はよく泣いていました。
ぼそっと 私は中学受験に向けた準備の時期に地獄が始まり、強迫症状が拡大しました。母の切り札は、「お母さまの言うことを聞かないと死んでやるからね」という脅迫の言葉。殺してやると言われれば、逃げる選択肢がある。でも「死んでやる」と言われると、こちらは何もできない。コントロール不能な抑圧をかけられて葛藤がたまっていったと思います。
平田 息子は小学校1年生の2学期に転校して、転校先でいじめられました。それが好転したのは5年生のとき。ようやく友達とも関われるようになったんです。高校は進学校へ行ったものの、勉強では早々に落ちこぼれた。赤点だ、追試だと学校から連絡が来るわけですよ。それで親子でケンカが絶えなかった。
ぼそっと ケンカができるのは少し羨ましいような気がしますけどね。私は脅迫による絶対服従でケンカすらできなかったから。
平田 でもケンカはどんどん激しくなって。高校2年のとき、口論の末に息子が発泡スチロールの箱を蹴ったんです。それで私が壊れてしまった。包丁を持って、「おまえを殺して私も死ぬ」と叫んで。彼はそれでひどく傷ついたみたい。
息子の頭突きで鼻を骨折したこともあります。夜中に病院で治療してもらって。帰宅して寝ていたら息子が枕元で泣いていました。お互いに爆発しては穏やかになる。その繰り返しでした。
よその子は褒めて息子は褒めない
ぼそっと そこに至るまでに、彼の中ではいろいろな思いがあったんでしょうね。平田さんはご自宅でピアノを教えてらしたんですよね。
平田 ええ。
ぼそっと 私の母は家で英語を教えていたんです。私はいつも、ほかの生徒の引き立て役として扱われました。
平田 そういう面はあったかもしれません。息子もピアノをやっていましたけど、「よその子は褒めるのに僕のことは褒めない」と言われたことがあります。欲が出ちゃうんですよ、息子には。もっとできるはず、もっと伸びるはずだと。他人の子は冷静に見られるのに。
ぼそっと 母がかねてから入れたがっていた大学に合格した夜、母は「よくやった」も「ありがとう」もなく、ただ「明日から英語を勉強しなさい」と言ったんです。絶望的な気分になりました。マラソン選手がゴールしたら、すぐ次のマラソンに出ろと言われたようなもの。どんなにがんばっても報酬がない。
ただ、もし母がこの場にいたら、自分が強要してきた事実はすべてなかったことにして「息子は自分の意見を言い、やりたいことを選択してきた」と言うと思います。でも実際は、私が“母は何を望んでいるか”をいつも読んでいた。本当の希望を言ったら、母がまた「死んでやる」と言い始めるのがわかっていたから。