寂しさから生まれた想像力
泣いても誰もかまってくれないとき、家出する物語を想像した。家を出て親切な人に出会い、クレヨンとカステラを買ってもらうという展開を考えると、少しハッピーになれたという。
「物語って家出の話なのよ。現実から離れて、向こうに行って楽しんで帰ってくるというのが、物語。心を家出させることができるのが、物語の力なんだと思う。そうやっていろいろ想像してるうちに、見えない世界を実際に見てみたいという好奇心も強くなった。寂しさがあるから、もっと好奇心は強くなった気もするわ。
ここではないどこかに行きたいという気持ちはいつもあって、だから、ブラジルまで行っちゃった。だから、キキが旅立つ物語を書きたかった」
子どものころ描いた想像の世界は、角野さんの作品につながっている。
「本当の意味では、母が亡くなったときから感じている怯えは、今でも私の中から消えてない。大人になって上手に隠す方法は覚えてきたけど。私の書く作品は明るく見えても、どこかに怯えて泣いている私が隠れていると思います。
母が亡くなったことは、作家としての私の原点。父から豊かな感性をもらうことができたし、寂しさから生まれる想像力を育てることもできた。母は亡くなっても、大きな贈り物を私に残してくれたんですね」
子育て中も画板を首にかけて
角野さんは、ひとり娘を育てながら仕事するワーキングマザーでもあった。
「娘が小さかったころ、日本は高度成長期で、主人は忙しく、子育てを手伝える状態ではなかった。当時はほとんどの家庭がそうだったと思います。毎日毎日、小さい子と付き合わなきゃいけない生活。母親というのは、やっぱり孤独ですよね。
今は状況も変わってきてるでしょうけど、それでも子育ての大変さをすべて理解してもらえるわけではないから、孤独を感じるお母さんは多いと思います。子どもは本当に可愛いのよ。可愛いんだけど、そればかりじゃないからね」
角野さんが乗り切れたのは、書く楽しみがあったから。
「子どもが小さいうちはごちゃごちゃ動いて追いかけないといけないから、首から画板をかけて、そこに紙をのせて書いたりしてました。後は寝静まった後に書いたり。時間をつくるのは大変でしたけど。
仕事というよりも、趣味みたいな感じで始めたから、むしろ書くことは楽しみだったの。編み物を好きな人が暇を見つけては編んでる感覚に近いかな」
旅好きの角野さんは、娘が小さいころから旅行に連れていくことも多かった。
「娘が4つのとき、“ヨーロッパに連れて行ってあげる”って言ったら、“ヨーロッパより原っぱがいい”って言ったんですけど(笑)、連れて行っちゃった。
娘は楽しんだかどうかわからない。でも、向こうで公園に行ったら、現地の子と楽しそうに遊んでましたよ。子どものコミュニケーション力というのはすごいものがあるわね」
娘が小さいころ、外から帰ってきて、「あっちへ行って、こっちへ行って、そっちへ行った」という報告するのを聞いて、「アッチ・コッチ・ソッチ」というキャラクターの名前ができたり、子育てをしているからこそ、発想できた作品も多い。