箱根のシューズは泥の中から見つかりました
「駅伝の魅力は仲間と襷をつなぐこと。仲間がいるから最後まで走れるんです」
そう話すのは地下翔太さん(32)。上武大学の選手として第87回大会でアンカーの10区(鶴見中継所から大手町間)を走った。
小学校時代の夢は『箱根を走る』こと。
「高校で陸上は辞めるつもりでした。でも花田勝彦監督(当時)から“一緒に箱根を目指そう”と誘われ、試してみたい気持ちが芽生えました」
しかし、道のりは険しかった。2年、3年時にはもう一歩のところで出場選手には選ばれず辛酸をなめた。結果を残せないまま迎えた4年生。
「箱根を目指し、自分を追い込んで……。とにかくストイックに練習しました」
もし出場できなくても「4年間で俺はやった、後悔はないようにしたい」と考え、とにかく必死に走った。
その努力が実り、念願の切符を勝ち取った。
「応援がすごかったことが忘れられません。走り終わった後、耳が聞こえにくくなる、そんな声援でした」
卒業後は地元・熊本県に戻り、球磨村役場に勤務。市民ランナーとして大会で走る傍ら子どもたちへの指導もしている。
選手としても指導員としてもこれからだという矢先、新型コロナウイルスで大会は中止になり、7月、記録的な豪雨が球磨村を襲った。村を流れる球磨川が決壊、甚大な被害を出した。
消防団で住民への避難の呼びかけに当たっていたが自宅にも祖母と母、妻、7歳と5歳の子どもたちが残っていた。
「急いで家に戻り、家族も避難させました」
水は2階の天井まで押し寄せた。間一髪のところで危機を免れたようにみえたが、
「祖父が入所する老人ホームが土砂に巻き込まれていたことがわかりました。寝たきりだったので助け出せないかもと思っており、覚悟はしていました……」
多くは語らなかった。