ギネス級の作品量と独自の作風

 とにかく、井出伝説にはものすごい数字が出てくる。

 50年以上も現役で活躍もさることながら、作品タイトルは1000くらい、総ページ数はそろそろ10万ページになるのでは、といわれている

「女性漫画家として世界最多だと、ギネスに申請しようとしたんだけど、ものすごく複雑で面倒な調査やあれこれがあって、ちょっとあきらめてしまったところ」

 勝手に海外で複製されているのも、どうにもならなくて今は放置してあるともため息をつく。成人女性のための愛と官能のレディコミは、他国にはないジャンルのようで、海外の読者にとってもレディコミ女王なのだった。

「ウェブで、世界中に読まれる時代が来るとは思わなかったわ」

レディコミ大ブームのころに住んでいた自宅には資料室があった
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 ちなみに、本邦初、もとい世界初のレディコミ誌は、講談社から'79年に創刊された『BE・LOVE』だといわれている。それがよく売れたので集英社から『YOU』も発刊され、続々とレディコミ誌が生まれていく。

私の漫画って、ときにやりすぎ、過激、といわれるほど喜怒哀楽や山場や見せ場が鮮明だから、なんたってわかりやすいんでしょうね

 創成期は、少女漫画誌の読者の年齢層がちょっと上がったくらいの、恋愛ものが中心だった。それが次第に、性描写のページが増えていく。

 成人誌に載るくらいの過激な官能シーンが売り物の雑誌も出てきて、玉石混交、群雄割拠、といった活況を呈していく。井出智香恵だけでなく、少女漫画で人気だった漫画家も続々と参入し、レベルは引き上げられた。

元はメジャーな少女漫画誌で描いていたのに、とかいわれもしたけどそれ以外のものだって、描きたかったわ。とにかく、私は漫画を描くのが好きなんだから

 そんな井出智香恵は、レディコミにおける漫画家の三大女王、四天王、と名前を挙げられるときは、絶対に真っ先に加えられるようになるのだ。

そのころはまだ、官能描写はさほどでもなかったの『JOUR』で森村誠一先生原作のミステリーを描かせてもらったら、人気になったのね

 なにもレディコミ読者は、官能的な場面だけを求めているのではない。とにかく、おもしろい物語も読みたいのだ。井出作品は、物語性も圧倒的だった。

他の出版社や他誌でもたくさん描かせてもらったんだけど、激しい性描写が売りの雑誌からは、“凝ったストーリーやきれいな恋愛はいらないから、とにかくエロエロな場面を中心に”“男女が重なってりゃいい”みたいなこともいわれたわ

 失礼な、とこちらが憤慨したくもなるが、井出智香恵は徹底したプロなのだ。意識、姿勢もだが、女のプロともいえる。

漫画を描くことは、私にとっては何よりも大事な仕事ですから。まぁ、なんだかんだ腹立つことをいってくる男性漫画家や、なんであんなもの描くの? と本気で心配してくれる友達の女性漫画家もいたけど」