『羅刹の家』で女王として君臨
いずれにせよ、まだ電話とファックスしかない時代。ブームのときも落ち着いたときも女王という敬称と地位を保っているのだから、気難しくて近寄りがたい人だったら怖いな、と後迫さんは緊張しながら会いに行ったら、
「いい意味で、期待を裏切られたというか。井出先生はとにかく気さくで、さっぱりしてポジティブ。ご苦労なさっていても、大らかで優しい人柄ですよ」
となった。後迫さんは女王がまだ滋賀県にいるころに会ったが、地元で有名なフレンチに連れて行ってくれたり、とにかく作品と同様サービス精神が旺盛だったそうだ。
それは井出智香恵に会った人は、皆が感じることだ。描くものと同じで華やか、そしてとにかくこちらを楽しませようと努めてくれる気さくな女王、と。
「今はレディコミ誌も次々に休刊になったりね、私の雑誌連載も以前に比べれば減ったけど、時代に合わせてウェブでも描いているし。なんたって生涯現役よ。いずれ、『羅刹の家』の第3部も描きたいし」
レディコミでの『女監察医』『SEXセラピスト氷川京介』などの代表作と並び、いや、知名度ではそれらを超える代表作となれば、『羅刹の家』だ。
ドラマ化もされたこの作品は、井出智香恵漫画は読んだことがない、という人でも知っている。1989年に『週刊女性』で連載が始まったこの漫画は、普遍の関係にして問題である嫁姑の闘いを中心に描かれている。
嫁姑問題だけでなく、夫婦の葛藤や女同士の競争、妊娠出産に育児、道ならぬ恋に純な性愛、とにかくたいていの女性が持つ喜怒哀楽に苦悩に欲望がこれでもかと詰まっていて、娯楽の殿堂にして、折に触れ開かねばならぬバイブルともなっている。
この漫画によって、それまでもレディコミ女王の候補として名が挙がっていた井出智香恵は、決定的に女王として戴冠するのだ。
メインは嫁姑問題だが、根底に流れる家族というものの恐ろしさ、大切さ、その主題は本人の経験に深く根差している。そのままを描いているのでない、にしても。
夫のDV、浮気……壮絶な実生活
本人と作品が重なることをまた語るとなれば、元夫の存在を抜きにはできない。本人もいろいろな媒体で語っているが、壮絶なDVと離婚を経ているのだ。
自称“ものすごい面食い”の井出智香恵は、新幹線の中で出会った長身の美男にひと目惚れし、そこから結婚まで一直線となってしまう。
ところが夫となった人は見てくれがいいだけで、ろくに働かず妻のお金で浪費と放蕩をするようになる。さらに子どもが三人生まれ、妻はものすごい量の漫画を描きながら子育てをし、夫の世話もしなければならない。
「レディコミ全盛期だったのが、幸いしたのか災いしたのか。私が稼いだ金、みんな遊びに使っちゃうんだから。あんな外車ばっかり何台もあって、どうしようっての。
私としては、育ち盛りの子ども三人を食べさせるために必死だったけど、元夫の借金のために馬車馬のごとく、となってたようなところもあるわ」
聞けば聞くほど、とんでもない男である。家の中に怖いものがいる、それはなんという恐怖だろうか。家とは安らぎの場、守られる城であるはずだ。まさに、羅刹の家。
「殴る理由なんて、ないっていうか。ううん、何でもいいの。殴りたいから殴る。そんだけ。床に顔を押しつけられて、汗で顔が埃まみれになったのは、今もはっきり覚えてる。私がへこたれないから、ますますいきり立つ」
妻の稼ぎが目当てというより、それがなければ生きていけなかった夫は、頑として離婚には応じない。この場合、妻には子は宝物だが、夫には人質だった。
だったらよき夫、よき父になれよと周りはいうだろうが、改心などするわけがない。本人は、自分は間違っていないと信じているのだから。
「田舎なのにランボルギーニとか買って、浮気もやりたい放題。容色だけはまだ保っていたから、惚れる女もいたわけよ。愛人で、夫の婚外子まで産んじゃったのいますよ。みんな、もう縁は切れているようだけどね」