出演作の切符を自ら売って回る日々
岩下と篠田氏は'67年に結婚し、同年、『表現社』という独立プロダクションを立ち上げた。その第2作目として'69年に公開されたのが『心中天網島』(しんじゅうてんのあみじま)だ。近松門左衛門の人形浄瑠璃を映画化した作品で、スクリーンには黒子(くろご)も登場する。人形浄瑠璃や歌舞伎の要素を色濃く表現した画期的な演出が胸を打ち、公開年のキネマ旬報ベストテンの1位にもランクインしている。
「独立プロは採算がとれなくて、結局うまくいかない例を見てきましたから、この映画がヒットしたのは本当に運がよかったと思います。最初は“近松門左衛門の映画を見に来る人がいるのかしら”とか、“そもそも、タイトルを読めない人もいるかも……”なんて思っていたんですが、初日から大行列で。この映画がヒットしなかったら、どうなっていたかわかりません」
女優人生で初めて切符売りもした。知人たちにあいさつに回って、300枚、500枚とチケットを買ってもらったのだ。
「居間に売り上げ一覧表を貼って、“はい、今日は100枚、300枚って書き込んでグラフを作って。全部で1万5000枚くらい売ったかな。営業ウーマンですよね」
この映画で、岩下は中村吉右衛門が演じる紙屋治兵衛の正妻・おさんと愛人・遊女小春の2役を演じている。
「おさんは子どもを産んでいるから、綿入れのじゅばんを着て身体つきを少し丸くしました。小春は、声を高めにか細くして。化粧や動きも違いますしね。役になるときは細かいところまで作りあげていきます。“この人だったらこういう感じになるだろうな”と」
その作業はときに苦しい。だが「結果としては楽しい」と岩下は笑う。
彼女が役にのめり込み、なかなか抜けられないということは、本人も以前から語っている。ときには1か月くらい「役のまま」で過ごしてしまうこともあるらしい。
そもそも岩下はクセが強かったり、薄幸だったりする女性を演じることが多い。例えば、37歳で出演した『鬼畜』('78年)。亭主の愛人が3人の子どもを置いて消えてしまい、自分が子を産めないコンプレックスもあって子どもたちをヒステリックにいじめ、あげくの果てに亭主に子捨てと子殺しをそそのかす女。『鬼龍院花子の生涯』('82年)では、極道の夫に仕え、最後には病死する女を演じた。また、よく知られたところでは『極道の妻たち』シリーズ('86〜'98年)の波乱万丈な半生を送る姐さん役。彼女が演じる「女」はどんなに非道でも、どこかそこはかとない哀しさが漂う。
「今まででいちばん役が抜けなかったのは、産後3か月目で台本が届いた『卑弥呼』('74年・篠田正浩監督)ですね。このときは静岡県の霊媒師さんのところに行って、実際に卑弥呼の霊を降ろしてもらおうとしたんです。そうしたら私には降りなかったのに、一緒に行った事務所の2人がその場で畳をかきむしって、のたうち回ってしまった。私は薄目を開けてその様子をじっと観察していました。その光景にヒントを得て、呻(うめ)きながら砂利をかくシーンを演じたんです」
撮影が始まると岩下は眉を剃(そ)り落とし、卑弥呼になりきった。当時、娘は生まれてからまだ数か月。いつもなら遅くに帰っても、娘を抱きしめて「愛してる」と伝えるのが日課なのだが、卑弥呼の撮影中は近づくと泣き叫ばれるので、それが一度もできなかったのだという。
「娘は眉を剃った顔が怖かっただけではなくて、私から何か霊気のような、不思議なものを感じ取っていたのかしら、と思いますね。神の声を聞いて政(まつりごと)をするのが卑弥呼ですから。この時期は娘に近寄れなくて、本当に寂しかった」