プライドを捨てた呼び込み作戦
独立に向けて動きだして思い知ったのは、世間の厳しさだった。
「まずね、八百屋の元社員で23歳の若造に、テナントを貸してくれる大家さんがいなかったんです」
候補の物件を見つけても、片っ端から断られ、ようやく借りられたのが、ここ関町本店の物件だった。
「大家さんがいい人で、俺が娘さんと同い年って知ると、自分の息子みたいな子が頑張るなら応援するよって」
しかし、ホッとしたのもつかの間。今度は、当てにしていた金融機関から、「開業資金は貸せない」と断りが入った。
「融資担当者が事前に下見したら夕方のかき入れどきでも人通りがない。ここで商売は無理だと判断されたんです」
物件は最寄駅から徒歩6分。確かに立地は悪かった。
それでも、自己資金200万円に、親戚からかき集めた借金を足して、開店に踏み切った。それが、1992年3月のこと。
「どんなに条件が悪くても、俺ならできる!」、八百屋なら誰にも負けない自信があったからだ。
ところが、金融機関の予想は的中してしまう。
「開店から2日間は、特売のチラシを持ってお客さんが来てくれたけど、3日目からはパタッと客足が止まって。店を手伝ってたカミサンが“ひろくん、大丈夫?”って心配するんで、“大丈夫、大丈夫!”って明るく答えてたけど、俺、内心真っ青だった。こんな悲惨な店、初めてだったから」
店の前はバス通りで、頻繁にバスが行き来した。ガラガラの店に立つ秋葉さんは、バスの乗客と目が合うたび、恥ずかしさで背中を向けた。
「どうせすぐつぶれるって思われてるんだろうなってね。今まで、10数年にひとりの逸材だなんてほめられてたけど、鼻をへし折られた心境でした」
精神的にもきつかったが、肉体的にもボロボロだった。
「夜遅くに家に帰って、売り上げの計算して、寝るのは12時過ぎ。そんで、朝は3時起きですからね。カミサンなんて、俺より先に起きるからいつ寝てたんだか。俺、3日で後悔しましたよ。なんでこんな商売、始めちゃったんだろうって」