仲間との和解、自立への一歩
ところが27歳のころ、親に「もうお金がない」と言われる。自助グループに行けなくなったら困る。彼は初めて「自分が何をしたいのか」を真剣に考え始めた。
「環境問題にすごく関心があったんです。農薬に利用されている化学物質の危険を訴えた『沈黙の春』の著者、レイチェル・カーソンに憧れました。彼女は生物学者だけど、僕は今から生物学者にはなれない。でも、もしかしたら環境を守るための樹木医にはなれるかもしれないと考えたんです」
知的障害者と農作業をする福祉関係の仕事があると自助グループの仲間に聞き、実務経験を得るために彼は飛びついた。さらに「ひきこもり」に特化した自助グループを仲間と立ち上げる。
ここから上田さんの人生はうまく転がり始めた。
「最初に行った自助グループのおかげですね。僕はいつも自分にダメ出しする気持ちが強かったんです。でも自分に対して肯定的になる、自分のよさを見つけるセルフケアを意識するようになって、自分を徐々に受け入れ認められるようになった。そうしたら何か人のためにできないかと考えられるようになったんです」
同時に過去へのこだわりにも訣別したい思いが強まり、29歳のとき、当時のフットサル仲間のもとへ赴いて謝罪した。ところが、仲間たちはほとんどそのことを覚えていなかったし、気にしていなかった。過剰反応して、自分から距離をとっていたとわかったのだ。過去の人間関係を取り戻したことが、彼の心を安定させた。
就職・結婚を叶え、人を救う立場へ
それから9年。さまざまなことがあった。母と姉が相次いで病気で鬼籍に入った。団地の自治会長をしながらひとりで暮らしている父を、上田さんはときどき連絡をとりながら逆に見守る立場になった。
仕事では、樹木医を目指していたものの福祉関係の勤務先でパン作りの担当になってしまい、夢が頓挫。だが、仕事をしながら、彼は自分が本当に望んでいるものに気がついたようだ。
2019年春、専門学校に1年間通った末に精神保健福祉士の資格をとり、精神障害者施設に転職。さらに同年7月に、5年間の交際を実らせ、ひと回り年下の女性と結婚した。
「収入面を考えると、なかなか結婚に踏み切れなかったんですが、精神保健福祉士の資格をとって方向性がはっきり見えてきたので、やっとプロポーズできました。結婚してよかったと思います。親をはじめ、いろいろな人から無償でもらったものを、次の人に無償で与える機会を得たような気持ち。そういう存在に自分がなれるのかな、と。子どもはいらないと思っていたけど、僕みたいに親の文句ばかり言ってきた人間がどういう親になるのか楽しみなので(笑)、子どもをもつのもいいかなと思っています」
ひきこもり経験者としての活動も多岐にわたる。自分が主宰する当事者会もあるし、冒頭で紹介した本を媒介にしたイベントも定期的に行っている。
上田さんには1年数か月にわたって断続的に会ってきたが、会うたびに存在感が増していくのを感じていた。じっくりと自分を見つめながら着実に充実感を得ている様子がわかる。饒舌なタイプではないが、さまざまな文化・芸術への造詣の深さ、新しいものへのアンテナの鋭さにも学ぶ点が多い。また彼は『暴力的“ひきこもり支援”施設問題を考える会』を共同で立ち上げ、いわゆる「引き出し屋」の問題も提起し続けている。
「これからも、僕はトラウマや居場所の欠如からひきこもった人たちに何か発信していけたらと思っています。YouTubeで始めた“居場所をくださいチャンネル”はそのひとつです」
自分の経験を糧にして、そこからさまざまな助けとなる雫を周りに振りまいているように見える上田さん。彼自身はクリスチャンではないのだが、敬虔なクリスチャンだった母の思いが彼の血肉になっているのかもしれない。
かめやま・さなえ 1960年、東京生まれ。明治大学文学部卒業後、フリーライターとして活動。女の生き方をテーマに、恋愛、結婚、性の問題、また、女性や子どもの貧困、熊本地震など、幅広くノンフィクションを執筆