「息子にも原因があるんじゃないの?」
茫然自失の体で磯子署に到着した片瀬さん夫妻を、署員たちが出迎えて事情説明を始めた。だが、早く息子に会いたいと焦る2人に、職員たちはなぜかはぐらかすかのような対応をした。
啓章さんの死因は、後方からダンプカーに追突されたあと、タイヤに巻き込まれたことによる顔面挫滅。救急車がその場で搬送をあきらめたほど遺体の状態は悲惨だった。磯子署の署員たちも、片瀬さん夫婦に遺体を見せるのを躊躇したという。
「写真は見せてくれたんですけど、横から写したものなんです。挫滅があるとはわからない。それで写真を見せてもらいながら“顔が腫れている”と言ったら、警察官は“う~ん”とうなって、何の説明もなくて。今にして思えば、こちらへの配慮だったとわかるんですが……」
片瀬さんがわが子と対面できたのは、事故の翌朝、死体検案の場だった。
「そのときには、もう葬儀社の人の手で(遺体の)修復されていました。だから、われわれが見たときには、擦り傷やアザはひどかったけれど、鼻とか目はきれいで傷はついてはいませんでした」
啓章さんの死亡で、事故について証言できる当事者は、加害者であるダンプカー運転手のY氏のみ。Y氏が語った事故の概要は、以下のようだったという。
《自分が運転していたダンプカーの前に赤い車があって、ともに赤信号で停止した。信号が青に変わって赤い車が発進、自分も発進したところ、車の下からギーギーという音がした。何かと思ってドアを開けて下を見たら、(啓章さんのバイクの)ミラー等が転がっていた。それで初めて事故とわかった》
前方不注意は認めたものの、一方で《事故は啓章さんの割り込みが原因である》と証言したのだ。
父親である片瀬さんいわく、「クソまじめで正義感が強い」反面、「気が小さくて、思い切ったことがなかなかできない」性格だったという啓章さん。そんなわが子が、あの大きなダンプカーの前にバイクで割り込むことなどしただろうか……?
考え込むばかりの両親を置き去りにするように、5日に通夜、6日には葬儀と、時ばかりが駆け足で過ぎていく。
ダンプカー運転手の言葉は信用できないと繰り返す片瀬さんに、前出の親友・馬場さんがこう声をかけた。
「“ここでそんなことを言っていても解決しないよ!”と。“真実を知りたいのなら、プラカードでも立てて事故があった交差点にでも立ちなさい!”。そう言ったんです」
片瀬さんが言う。
「そのひと言を聞いて、事故現場である(横浜市磯子区)中原の交差点にプラカードを持って立ち、目撃者捜しを始めたんです。事故後、2週間目あたりのことでした」
馬場さんが振り返る。
「今になって思えば、むごいことを言ったものだと思います。でも片瀬くんがそれを実行してくれて。雨の日も風の日も、2か月間だったかな、ずーっと立っていた」
片瀬さんが事故からわずか2週間で目撃者捜しを始めた背景には、今も解消したとは言いがたい、捜査に対する被害者家族のやりきれない思いがあった。
“一体、何が起こったのか?”“真実が知りたい”。
遺族はそう思い続けている。しかし、警察に尋ねても詳しい話はしてくれない。
「被害者と加害者、どちらにもくみしないとはいいますが、保険会社などには、少しはリークしているものなんです。ところが、われわれ被害者には話してくれない。私に限らず当時は全国一律、被害者の家族はそうした状態だったんです」
事故から26年たった現在でも、片瀬さんには忘れられない光景がある。