ついに始まった2021年のNHK大河『青天を衝け』。“日本近代資本主義の父”と呼ばれる実業家・渋沢栄一が歩んだ激動の生涯を描く物語。

 ガス、電気、銀行、ビールなど、私たちの生活と密接に関係する多くの企業の設立や経営に携わった渋沢。その数は生涯で約500社にわたり、福祉や教育活動にも尽力し、ノーベル平和賞の候補にも2度ノミネートされたことがあるほど。そんな偉人・渋沢を演じるのは“国宝級イケメン”と称される吉沢亮だ。

 押しも押されもせぬ人気俳優の吉沢が生まれ育ったのは、東京都昭島市。男4兄弟の次男として生をうけた。都心から少し離れた自然豊かなこの土地で、少年時代を過ごしたけれど、その学生生活はちょっと特別だったよう。中学時代の同級生が明かす。

もうめちゃくちゃモテていて、学校中の女の子が毎日のように吉沢クンのクラスまで見に来るんです。吉沢クンが昼休みに机に突っ伏して寝ていると“キャーキャー”言ってるから“うるせぇよ。あっちいけよ”と不機嫌そうに言っていたのをよく覚えてます。そんな、冷たい吉沢クンもカッコよかったぁ……」

学年の3分の1の女子から告白

 吉沢自身もテレビ番組で「学年の3分の1から告白された」と語るほど。黄色い声援には、うんざりしていたのかも。憧れていたのは女子生徒だけではないようで、

あの甘いマスクで、3年生のときにはバスケ部のキャプテンだったからね。学校の外でも後輩らしき女の子から“あっ吉沢先輩だ。吉沢せんぱ~い”って声をかけられているのを見かけましたよ。うちの息子もバスケ部だったんだけど“俺が吉沢先輩だったらなぁ……”ってよくボヤいてました(笑)」

 と話すのは、吉沢を小さいころから知っているという、地元で昔から商売を営む男性。続けてこんなエピソードを明かす。

とってもいい子でしたよ。明るくって人気者でね。中学校の体育祭では3学年を縦に3組に割って競うのですが、亮はそのひとつの応援団長だったんです。応援団長は人望がないと、選ばれないんですよ。亮はみんなから羨望の的でね。バレンタインデーとか大変だったんだろうなぁ」

 学校ではまさにヒーロー。それほどならば調子にのっちゃう気もするけれど……。吉沢が小学1年生から9年間通ったという剣道場の館主は、

「人の話をちゃんと聞く素直な子でした。お兄ちゃんが通っていたから、その流れで来るようになったと記憶しています。筋がよく、公式大会では優勝したこともありました。ただ、指導していた師範に聞くと、隠れて上手にサボることもあったそう (笑)。弟さんも通っていたんですが、手ぬぐい巻いて、お面をつけてと、よく面倒を見ていましたね」

 と、弟思いの人柄も語る。そんな輝かしい青春も高校では暗転する。

中学時代の友人が誰もいない高校に行ったことで、うってかわって人見知りがすごくて周囲とはまったく話さなかったんだとか。自身で“スクールカーストの底辺”って言うぐらい。騒いでるグループを見ては冷めた目で見ていたと、当時を振り返っています」(テレビ誌ライター)

 環境の変化になじめぬまま、暗い日々を過ごしていたようだが、転機となったのは母親のひと言だった。