原発問題が収束しない限り、復興ではない
金田住職が、地域の社会的活動を意識しはじめたのは震災前からだった。それは、栗原市の自殺率が高かったためだ。人口10万人あたりの自殺死亡率は05年の48.6をピークに増減はするものの、震災前の10年には40.3と、国(23.4)や宮城県(22.8)よりも高い数を示していた。
「社会派のお坊さんとして、宗教が社会を変えていくことに興味がありました。でも、自殺死亡率の高さはショックでした。社会の歪みを強烈に考えました。震災から10年ですが、出発は自殺の問題だったんです。自殺が多い社会が放置されたまま、震災を迎えたんです」
震災から3年目。金田住職は気分が沈み、うつ状態になったという。被災者への支援にエネルギーを費やしすぎたのだろうか。
「自分の限界を知りつつやっていたわけではなかったのでしょうね。3年目になると、被災地の中でも、復旧・復興への差が出てきていました。そのため、見えないストレスがかかっていたのです。自殺防止のネットワークとしても24時間対応をしていました。後を振り返らずに突っ走っていました。そんなときにネットワークの仲間から、『やっと私たちの仲間になったね』と言われたんです。先駆的な活動をしている人たちは同じような思いをしていたのです。そのため、肩から力が抜けたのです。そういうプロセスを経て、第2のブースターに火がついたのです」
東日本大震災における復興について、どう考えているのだろうか。
「孤立、孤独、自殺。私たちの活動の原点は自殺の問題です。訴えることも、叫ぶこともできない人たちが、年間3万人もいました。心の復興は常に進行形であり、プロセスです。10年経ったなりにいろんな問題が残っています。復興住宅でも、孤独や分断の問題があります。避難所や仮設住宅と違って、住民のつながりが見えにくいのです。復興住宅ができたので、支援は『もういいだろう』と思っていたんですが、『もっと続けて』と言われました。孤独死の問題があるためです。そのため、復興住宅まわりをすることになったんです。それに、原発問題が収束しない限り、復興ではありません」
父親も、過去の津波では、沿岸部の支援活動をしていたという住職。内陸部の住職が津波被災にあった地域を支援するのは、「DNAに組み込まれている」(金田住職)のかもしれない。そんな金田住職は、震災10年を機に『東日本大震災 3.11生と死のはざまで』(春秋社、1980円税込)を出版した。
取材・文/渋井哲也(しぶい・てつや)◎ジャーナリスト。長野日報を経てフリー。東日本大震災以後、被災地で継続して取材を重ねている。『ルポ 平成ネット犯罪』(筑摩書房)ほか著書多数。