“私人”としての福原愛
そして話題になっている、家族からのモラハラについて。義母に「あなたが来て家は潤ったわ。あなたは、我が家の金を生む鶏よ」と言われ、ショックを隠しきれなかったという彼女だが、現在も台湾では家電CMで仲睦まじい夫婦の様子が放送されている。契約金も莫大なものだろう。
それについても彼女は心情を吐露している。自分がテレビに映ったときはすぐ消し、新聞や雑誌にでたときは決してそれをみないようにしているという。
《テレビのあの人は「福原愛」。でも仕事以外の私も「福原愛」なのです。私はどこにでもいる普通の人。(中略)ある人は、この線引きに冷たいと感じるかもしれませんが、私だって自分を二重人格にしたいわけではないのです。
ただ、あるていどのレベルで「隠れ蓑」がほしいからであって、そうすることで実生活に影響を与えずにすみます。もし、仕事と生活のあいだに境界線がなければ、自分は動物園のなかにいるパンダになりさがり、常に観客に見られっぱなし。家に帰っても切り替えることができなくなるんです》
そして、もし“公人の私”しかいなければ、《いつも他人の評価を気にしてしまうし、どこに行っても、隠し撮りされるのではないかと怖くなります》とも綴っている。
私生活を守ろうと必死だった福原だが、それとは裏腹に義姉が彼女のパジャマ姿などプライベートな一面をたびたびSNSにアップ。福原を“踏み台”にするようなかたちで一躍人気者になり、芸能界デビューも果たした。
台湾での生活に耐えきれなくなり、逃げ込んだ先の日本で夫以外の男性とのデートを“隠し撮り”されたわけだが、その“隠れ蓑”ははたして「あるていどのレベル」にあったのだろうか……。
エッセイの巻頭には夫・江による“推薦文”が掲載されている。そこには福原愛という女性を形容した五文字が。──『真実的假掰』。
言うなれば「本物のぶりっ子」の意だそうだ。