置き去りにされる「自主避難者」たち

 避難してからも、森松さんは“いつになったら家族が一緒に暮らせるようになるのだろう”と考え続けていた。しかし、その後も、郡山市内など中通りでもホットスポットの存在が明らかに。

 さらに事故直後、被ばくを避けるため住民に放射性物質の動きを伝えるはずだった『SPEEDI』(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の情報は、住民に提供されなかったことも、時間を追うごとに次々と明らかになっていった。そういった重要な情報は、すべて後出しだった

 '12年6月には、原発事故子ども被災者支援法が成立。避難する人、福島にとどまる人、帰還する人、それぞれに具体的支援策が作られることが多くの人から期待された。

 森松さんも、全国に散らばる原発避難者も、避難できなかった人も、平等に被ばくから自由になれることを願っていたが、法律は骨抜きのまま、国は具体的な救済施策をほとんど作らなかった。

 森松さんは、'13年9月、原発事故を起こした国と東京電力の責任を問う「原発賠償関西訴訟」の原告団代表となり、国と東電を相手に裁判を提起した。

 加えて翌年には、『東日本大震災避難者の会 Thanks &Dream』(サンドリ)も立ち上げた。「当事者自身がアーカイブ」を掲げ、避難当事者の声を発信していくためだった。当事者だからこそ見える視点、気づき、自分自身の受けた被害を紡ぎ、多くの人が救われる施策、取りこぼしのない救済制度の確立につながってほしいと思っていた。

 しかし一方で、世間はどんどん原発事故を忘れ、置き去りにしていくようだった。'15年には、'20年のオリンピック東京開催招致のために、安倍晋三首相(当時)は福島の状況を「アンダーコントロールされている」と発言。多くの人が反発した。

 その年の年末、一時帰宅した森松さんの自宅裏には、除染で出た土を入れたフレコンバッグが大量に積み上げられていた。ざっと数えても、400個、置かれていたのだ。

フレコンの 前で子育て 私無理

 そんな川柳を森松さんは作った。しかし、その川柳に対して、「傷つく人がいる」と言われた。森松さんのなかでも葛藤がないわけではなかった。

 だが、「傷つく人がいるから発言できない」という理屈は、言葉のタブー化であり結局、何も発言できなくなるそして、社会が知るべき事実が知らされず、なかったことにされてしまう

自身の体験を伝えたいと、子育てや仕事に励みながら、講演活動も精力的に行う
自身の体験を伝えたいと、子育てや仕事に励みながら、講演活動も精力的に行う
【写真】森松さんの住む郡山市から60km、水素爆発で白煙を上げる福島第一原発3号機

 そのうえ同年、区域外避難者に対し、借上住宅(災害時に無償供与されるみなし仮設住宅)の提供が'17年3月末で打ち切られることが知らされた避難指示があった地域には毎月10万円の精神的慰謝料があったが、区域外避難者には定期的な賠償は一切ない

 つまり、区域外避難者にとって、借上住宅は唯一の経済支援だった「追い出さないでほしい」と、多くの区域外避難者が声をあげた打ち切られると、帰らざるをえない人も出てくるそれは、被ばくを避ける暮らしが再び剥奪されることと等しかった

 区域外避難者は、そもそも生活再建が難しかった。まして幼い子どもを抱えての母子避難では、就労も困難だ。離れ離れの暮らしで心がすれ違い、離婚に追いやられた人もいる。区域外避難への周囲の無理解は、孤立をも深める。経済的にも精神的にも追い詰められる人が数多くいた。

 借上住宅の打ち切りをめぐって、復興大臣の失言が相次いだ。

 '17年4月、今村雅弘復興大臣は(自主避難は)本人の責任でしょう。(不服なら)裁判でもなんでもやればいいじゃないかと発言し、辞任

 続いた吉野正芳復興大臣も同年12月、事故から7年もたったんだから、そろそろ自立を考えたらどうか」と非公式の席で発言し、問題となった

 加害側である国が、被害を受け、避難をした人たちに対し「自己責任」と切り捨てるあげくの果てに、裁判のなかでも自主避難者を「国土の評価を不当に下げる」と主張し始めたのだ

 森松さんは、今村大臣の失言があった日、娘の入学式だった。本来なら、夜にケーキを食べてお祝いをするつもりだった。しかし、お祝いのケーキはいつでも食べられると判断し、入学式を終えたその足で新幹線に飛び乗り、関西から東京での記者会見の列に参加。暗くなるまで、復興庁前で全国から集まった被害者の仲間たちと抗議をした。

今、声をあげなければ、子どもたちの生活も、“自主避難は自己責任”という、差別的で偏見に満ちたいばらの道になってしまうと、危機感を抱いたんです

 さらにはこの年、復興庁のホームページで毎月発表している避難先自治体の避難者数が実態よりはるかに少ない88人と記載されていたことも発覚森松さんら当事者・支援者が声をあげたことにより、避難者数は800人近くまで上方修正された避難者数の中に、森松さん親子が含まれていなかったという驚くべき事実も発覚した「自己責任」「自立」どころか、存在そのものを無視されたのだ

 この避難者数の問題は、現在も進行中である復興庁が発表する約4万2000人(令和3年1月13日現在)は実態を表すものではなく、実際には7万人とも、それ以上とも言われている