マツコ・デラックスやはるな愛など、LGBTのタレントは今やメディアでは欠かせない存在。その道を切り開いたパイオニアが、カルーセル麻紀さんだ。戸籍も身体も男から女へ――。偏見や差別と堂々闘ってきた日々を振り返り言葉の規制が激化する「うるさい社会」を一蹴する。
アンティークの調度品や絵画がセンスよく配置された部屋でカルーセル麻紀さん(78)がソファに腰かけてタバコをくゆらす。きれいに手入れされた銀髪のショートヘアに赤いルージュをひいた凛とした風情は、酸いも甘いも噛み分けてきたパリのマダムのよう。
「昨年末に閉塞性動脈硬化症で入院したとき、思い切って長い髪を切ったの。金髪に染めようかと思ったんだけど、美容師さんがこのままがカッコいいですよと。だから染めてないのよ、どうかしら?」
女らしい仕草で髪に手をやる麻紀さん。15歳でゲイボーイとなり、日本で初めて性転換手術(現在の性別適合手術)を受けた。天性の美貌とキレのいいトークでお茶の間の人気者となり、テレビや映画でも大活躍。今もピンヒールをはいてお笑いと歌謡ショーのステージに立つ。戸籍を男性から女性にしたパイオニアでもある。
麻紀さんの自宅を訪ねたとき、折しも東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会森会長の女性蔑視ともとれる発言が問題視され、メディアをにぎわせていた。一連の騒動について水を向けると、麻紀さんはこう答えた。
「あー、あのおっさんね、よく知ってるんですけど。ゴルフも温泉も行ったことありますしね。すごく気さくでね、会うと“おう、あんた元気かい?”って話しかけてくれる人なのよ。あの発言を私は蔑視だと思わないわね。女は話が長いってだけのことなのよ。そのとき周りの人たちも笑ってたというんだから。私たちの時代を考えると、セクハラ・パワハラ発言もなんでもアリだったじゃないですか」
ジェンダーや性同一性障害という言葉がなかったころ、差別と偏見の目にさらされながら麻紀さんはゲイとして自分の道を生き抜いてきた。
「テレビのコメンテーターに“いくら女だって言ったって、オメェ、オカマじゃねえか”と言われてさ、“なに言ってんだ、この野郎!”と暴れて帰ったことは何度もありましたね、生放送で。有名だったんですよ、“カルーセル、生で使うな”って。キレるとテーブルひっくり返して途中で帰っちゃうって。はははは。
今はマツコやオネエたちがもてはやされるけど、当時は見世物、化け物扱いよ。自分たちとは違う人間をバカにして笑いものにする演出ばかりで耐えられなかったのね」
現在はジェンダーに理解のある社会になったが、昨今の言葉の規制には違和感を覚えるという。
「先日もあるテレビ番組に出させていただいたんですが、放送禁止用語がたくさんあって大変ですよ。オカマって言葉、私が言っても駄目なんだから。なんでもね、卑下したり、見下したりして言ってるんじゃないんですよ。ああ言ったこう言ったって、マスコミがバッと突っ込むわけじゃない、それはちょっとどうかなと思うのよね」
うるさい世の中になってしまった、人の失敗を許さない不寛容な社会はまた別の差別を生んでいくと嘆く。
「オリパラのことにしたって、ロゴのデザインから国立競技場の設計の問題、それにコロナによる延期と、森さんが何とか頑張ってきたのにさ、あそこまでいじめなくてもいいと私は思ったけどね。あれじゃあ年寄りイジメじゃない。みんなが走らないなら、私が聖火ランナーやるわよ。頼まれてないけどね(笑)」