国民的コメディアン・志村けんさんが、新型コロナウイルス感染によって突然この世を去ったのは昨年3月29日のことだった。
「いまだに全然、実感がないんです。悲しいとか寂しいよりも、志村さんがいないということが不思議な感じで……。“緊急事態宣言が明けたら、また飲みに行きましょうね”って、ふと電話してしまいそうになるくらいで」
女優の川上麻衣子は、しみじみとそう振り返る。志村さんとは、25年来の仕事仲間であり、友人だった。
「番組で共演していた当時は、志村さんも40代でいちばん元気な時期でね。みんなで一緒によく飲みに行きました。カラオケに行くと、志村さんは吉幾三さんの『雪国』を歌うんですけど、それがすっごい上手でね……」
志村けんさんは助かったかもしれない
感染が報じられてから、わずか10日あまりでの訃報に、日本中が驚きと同時に、新型コロナという未知のウイルスの恐ろしさも思い知った。川上自身も昨年11月に新型コロナに感染し、それを身をもって経験したひとり。
「私はそれでも2か月ほどで回復しましたが、私が感染させてしまった知人は、志村さんのときに初めて聞いた“ECMO(エクモ)”という人工心肺装置をつけるほど重症化してしまって。知人は私より若くて基礎疾患もなかったのに、2度も危篤状態に陥ってしまいました。
結局、自分の足で歩けるようになるまで3か月も入院したんです。それでも、コロナの正体がわかりだしていたから助かった。志村さんも、今だったら助かったかもしれないと思うと悔しいですよね……」
志村さんの“最後の弟子”として付き人を務め、現在は鹿児島を中心に活動するタレントの乾き亭げそ太郎は「今でも何かあると“師匠に怒られたくない”って思っちゃうんです」と頭を掻く。
「僕の気が緩みそうになったとき、すぐに師匠の顔が浮かんできますね。僕が付き人について3年目に言われたことがあるんです。“何かをやるときに環境のせいにするな”“今できないやつは環境が変わっても何もできないぞ”って。
僕は芸人の世界から、故郷に戻ってレポーター業に転身したんですが、慣れない世界でしたから逃げ道をつくりたくなることもあったんです。でも、師匠のその言葉を思い出しては、言い訳だけはしないぞって」
志村さんを偲んでいるのは、川上やげそ太郎だけではない。出身地である東京・東村山も同じだ。