C.C.ガールズはバラエティー番組でも活躍。『爆笑! スターものまね王座決定戦』(フジテレビ系)にはたびたび出演していた。

右から原田徳子、青田典子、藤原理恵、藤森夕子。この曲は'94年JALキャンぺーンソング。C.C.ガールズはANAの森高千里に対抗して抜擢されたという
右から原田徳子、青田典子、藤原理恵、藤森夕子。この曲は'94年JALキャンぺーンソング。C.C.ガールズはANAの森高千里に対抗して抜擢されたという
【写真】今でもスタイル抜群な『C.C.ガールズ』初代メンバー・原田徳子

「私たちは真剣で、ものまねをするというより“歌って踊る仕事”という気持ちでした。審査員の野口五郎さんが私たちのミニスカを見て“デレッ”とするのがお決まりで“1回戦と2回戦の華”的なイメージでしたが、1度だけ優勝も。決定戦で私がミュージカル『キャッツ』の代表曲『メモリー』をメインボーカルで歌ったんですよ。

 厳しかった淡谷のり子先生に10点満点をつけていただき、司会の研ナオコさんにも“あなた、歌うまいのね”って言われて大泣き。何よりも本業の方に認めてもらえたことがうれしかったんです

ファンクラブは女性が多い!?

『ものまね王座決定戦』の視聴率は30%以上。C.C.ガールズの名はお茶の間にどんどん浸透していく。

「地方イベントとかホテルのディナーショーに出演すると、お子さんからおじいちゃん、おばあちゃんまで私たちを見に来てくれました。私のファンは小学生の女の子も多くて、雑誌『りぼん』の付録になっているような便箋で手紙を送ってくれるんですよ。意外かもしれませんが、C.C.のファンクラブ会員は女性のほうが多かったんです

 雑誌『小学五年生』の人気アンケートでも1位になった。

 '94年にはJALや資生堂のCMに起用される。芸能活動は順調だったが、かなわぬ夢があった。

「『紅白歌合戦』に出場できなかったのは心残りですね。『さんまのまんま』と『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングに出て『紅白』にも出てセンバツ高校野球の入場曲になる目標があったんです。でも残念ながら私たちにはそこまでのヒット曲がありませんでした。毎年、大みそかのスケジュールをあけていたんですが(笑)」

 原田は'95年にC.C.ガールズを卒業。

「25歳になり、人生についての心の変化を感じるようになりました。1度ひとりになって、原田徳子の人生を見つめてみようと思ったんですね。C.C.に関しては全力でやり切った感がありましたし、次のステージにいこうかなと」

 同時にメンバーだった藤原理恵も抜けて、4人が2つに分かれたことから、グループ内の対立を噂された。

“不仲説”は何度も言われました(笑)。全員20歳を越えていたので、感情的なもめごとはなかったんですよ。仕事に関する前向きな意見の相違や交換はありましたが、みんな大人でしたから、言い合いやケンカはありませんでした。まあ不仲説はグループにはつきものなので(笑)