あまりにも突然だった。3月28日、歌舞伎役者の中村吉右衛門が公演後に訪れたレストランで倒れ、そのまま救急搬送されたのだ。
「病名は明かされていませんが、一時は心肺停止状態になり集中治療室に担ぎ込まれたそうです。数年前から白内障や味覚障害を患うなど病気がちでした。昨年10月にも手術を受けたり、今年1月の歌舞伎公演も体調不良で8日間休むなど兆候はありました」(スポーツ紙記者)
中村吉右衛門という名跡の歴史は短くも重い。
「先代の初代・吉右衛門さんは大正から昭和にかけて活躍。卓越した演技力が評価され、たちまち歌舞伎界を牽引する存在になり、一代で“播磨屋”の名跡を築いた歌舞伎役者です。現在の吉右衛門さんは、4歳から舞台に立ち、先代の芸を昇華。ドラマ『鬼平犯科帳』シリーズの主人公“鬼平”役でも知られています。2011年には人間国宝に認定されました」(同・スポーツ紙記者)
歌舞伎評論家の喜熨斗勝氏は、彼の芸をこう評価する。
「日常への観察を大事にし、芸に対するまじめな姿勢は多くの歌舞伎役者の模範になっています。派手な遊びとも無縁で、芸の道を邁進し続ける方ですね」
その人生は歌舞伎に翻弄されたともいえる。
「吉右衛門さんの兄はフジ系のドラマ『HERO』や舞台『ラ・マンチャの男』でも知られている松本白鸚さん。2人の母親は初代・吉右衛門の娘で、彼女は初代・松本白鸚に嫁いだのですが、息子が生まれなかった父のために“男の子が2人生まれたら、1人を養子に出す”と約束したんです。その後、白鸚さんに続き吉右衛門さんが誕生したために、約束どおり養子に出されました」(松竹関係者)
吉右衛門には“跡取り息子”がいない
こうして、無事に継承された播磨屋の芸だったが、歴史は繰り返される。先代と同じく、吉右衛門自身も後継者に悩まされることになった。
「吉右衛門さんは娘さんが4人。男の子はついに生まれませんでした。自分が養子で苦労したことを身をもって知っているため、養子をとることも気が進まず、跡継ぎ問題が先送りになっていたようです」(同・松竹関係者)
後継者問題が解決しない播磨屋に転機が訪れたのは、2013年2月。吉右衛門の四女である瓔子が尾上菊之助と結婚したのだ。
「菊之助さんの音羽屋は七代目・尾上菊五郎さんを当主に構える歌舞伎の名門。大名跡同士の婚姻は梨園を騒がせました」(同・松竹関係者)
同年11月には、後に七代目・尾上丑之助を襲名する和史くんも誕生。
「孫が生まれて菊五郎さん以上に喜んでいたのが、実は吉右衛門さん。何度も銀座の高級寿司店や、フレンチ料理店に連れていってあげてますからね。丑之助くんには、自身を“じいじ”と呼ばせて芸の指導も優しく行っているそうです」(播磨屋に近しい人)
古典歌舞伎の第一人者も、孫の前ではまるで威厳がないという。
「吉右衛門さんは普段でも穏やかな雰囲気で若手に接し、いろいろアドバイスをしたりするなど、指導が丁寧な方なんです。でも孫の指導となるとそれ以上に甘々になりまして、2019年5月に放送されたバラエティー番組『ぴったんこカン・カン』では丑之助くん自ら“稽古が厳しくない”と指摘。本人も“じじバカでございます”と苦笑していました」(同・播磨屋に近しい人)