ものすごく思い詰めて警察に……
原田 3月に『生き抜く力』という本を出版されたとのことですが、執筆したきっかけについてもお聞きしたくて。
山田 もちろん出版社からオファーをいただいたから書けたんだけど、芸能生活40年で年齢も60歳。ふたつを足すとちょうど“100歳”になるんですよ。とにかくおめでたいから、人生をまとめようというのが、ひとつのきっかけですね。
初めは自叙伝だから存命の人の名前も出てきていろいろ面倒だし、自分のことを文章にするのも恥ずかしいなあって思っていたんですよ。でも、書いていくうちにたくさんの人にお世話になっていたことに気づけたんです。
原田 本にはビッグネームばかり出てくるので、タイトルどおり“芸能界を生き抜いてきた”ことがわかります。
山田 例えば『ひょうきん』の章で「たけしさんに本当にお世話になったな」とか、乳がんになったときは友達に支えられたなとか、ひとりひとりと向き合えましたね。ずっと「私はピン芸だからひとりでやってきたんだ」なんて生意気にも思ってたんですけど、全然そんなことなかったね。ありがたいなあと思って、久しぶりにたけしさんにお手紙書いちゃった(笑)。そしたら、たけしさんから初めて直筆のお返事がきてうれしかったなあ。
原田 おお〜、貴重な経験になったんですね。
山田 それ以外の理由は、このコロナ禍もあって、たくさんの人がつらい思いを抱えていると思うので、一緒に乗り越えようよ、と。私も、忙しすぎて気絶しながら仕事したり、捏造に近いようなウワサでバッシングされたりとか、かなりしんどいときもありましたしね。
山田 実は、一度本気で死がよぎったことがあるんですよ。
原田 え!
山田 どうしても行きたくない仕事があって、事務所に相談しても「休めない」と言われちゃって。「行かなきゃいけないなら死のう」って思っちゃったの。一晩中考えて警察に電話したら、すごく親身になって話を聞いてくれて。もしかしたら自殺相談の専門知識を持っている担当者かもしれない。
その人に今の心情を話していると「お仕事の悩みですか?」と聞かれたんです。そこで“このまま話を続けると、山田邦子だと言わなきゃならないのか”と思ったらわれに返ったというか、ちょっと元気になったんですよね。そこで「もう大丈夫です」と伝えて電話を切りました。
原田 そんなにイヤな仕事だったんですね……。
山田 それが、大したことじゃないのよ! 芸能人大運動会に出るというだけ。私はピン芸だからもともと集団が苦手だし、そんな大勢の中に私が行く意味って何?と思ったら、すごく気落ちしちゃったんです。
警察の電話を切ったあとに友人にも連絡したら「そこまでイヤだと思って行くと、案外楽しいかもよ?」とアドバイスされて、そういう考えもあるのかと目からウロコでしたね。