上野樹里がつないだ母子の絆
家族の存在も、大きな心の支えになっている。
ある日、レミさんが知人に「思い出だけじゃ、つかむものがなくて悲しいのよね」と嘆くと、その人はこう励ましてくれた。
「いるじゃない。息子さんが。息子さんの半分は和田さんでしょう」
レミさんがその話を長男の唱さんと妻で女優の上野樹里さんにすると、樹里さんが夫にこう言った。
「ほら唱さん、手を出して。レミさんも」
唱さんと握手をしながら、レミさんの脳裏には幼い日の息子の姿が浮かんだ。
「手をつないで散歩したときは、やわらかで小さかった唱の手がさ、ギターを弾いてしっかりした手になっちゃって。その子が私の手をギューッと握ってくれてる。思い出って、つかめるねと思ったら、何かうれしくなっちゃって、心のつかえがストンと取れちゃったのよ」
レミさんが風邪をひいたとき、樹里さんが鍋いっぱいのうどんを作って持ってきてくれたこともあったという。
これまで和田さんを喜ばせたくて、たくさんの料理を作ってきたレミさん。夫の死で張り合いをなくし食が乱れがちなレミさんを見かねて、明日香さんは週の半分くらいは晩ご飯に呼んでいると話す。
「放っておくと食べないですもの。変な時間に焼き芋とか食べて、“お腹減らない”と言って。それがうちに来ると、すんごい食べるんですよね(笑)。
お義母さんと夫は、2人ともせっかちで負けず嫌いでズバズバ言い合うから、ワアーッとケンカみたいになることもあるけど、翌日は平気で仲よくしゃべっていますよ。夫は“お母さん、面倒くさい”とか言うけど、誰よりもお義母さんのことを気にかけて、ケアしているなと思います」
レミさんはせっかちなだけでなく、とても心配性で家族のことは放っておけない。孫の下校が少し遅いだけでも、通学路まで見に行ってしまう。明日香さんの首にしこりができたときは、「すぐ病院の予約をして。予約が取れるまで帰らない! 」と言って、本当にその場を動かなかったそうだ。
「もう、どこを切っても愛があふれてくる、本当に愛情たっぷりの人です。特に孫には甘々で、“ママには内緒だよ”と言いながら、どれだけ怒られるようなことをさせているか(笑)」
レミさんは独身時代を第1ステージ、結婚生活を第2ステージ、1人に戻った今を第3ステージと呼んでいる。
第3ステージでやりたいことを聞くと、「全然、欲がないのよね」と少し考え込んだ。
「ただ、与えられたことを一生懸命やってきただけで、目の前のことをクリアして、クリアして。それでいいの。欲もないし、野心もないし。これからは、ちょっとのんびりして、孫と遊んで。いつまでも楽しく料理をできればいいのよ」
「そのためにも大切なのは、食、食べることですね? 」
そう返すと、レミさんは大きくうなずいた。
「そう! いいことおっしゃいます。やっぱり、ちゃんと食べて健康な身体でいないとさあ、楽しいことも、楽しめなくなるからね。あとは、子どものため、嫁のため、孫のためにも元気でいないと。迷惑なんかかけたくないからね」
レミさんのキッチンは庭に面した南側にある。家を建てるとき、和田さんが「いちばんいい場所を取っていいよ」と言ってくれ、幼い息子たちが庭で遊ぶ姿を見ながら、料理を作ってきた。
さまざまな思い出の詰まったキッチンで、今は自分のために料理を作っている。
「和田さんは肉が大好きだったけど、今はステーキはあんまり焼かなくなっちゃったかな。でも、お刺身はたくさん食べようと思って。酵素がいっぱいだからね。あと生野菜ね。今朝もサラダにアボカド入れて目玉焼きものせて、こーんなどんぶりにいっぱい食べちゃった(笑)」
たくさん食べて、たくさん話して、レミさんは今日も元気だ。
取材・文/萩原絹代(はぎわら・きぬよ)
大学卒業後、週刊誌の記者を経て、フリーのライターになる。’90 年に渡米してニューヨークのビジュアルアート大学を卒業。’95 年に帰国後は社会問題、教育、育児などをテーマに、週刊誌や月刊誌に寄稿。著書に『死ぬまで一人』がある。