実父との関係を深めていった矢先…

 継父との心理的距離のある関係が続いていたところに、智子さんは実父(別居親)と偶然の再会を果たします。智子さんが再会を望んだのは「本当の父親と娘の感じを知りたかった」からです。しかし、十数年ぶりに再会した実父は、「もう完全に他人っていうか、知り合いの人」としか感じられませんでした。(以下《》は智子さんの発言)

《全く写真も見たことがなくって、記憶にもなかったんで、もう初めて会うというか。んー、似てるとも思わなかったし。んー、何か不思議な感じでしたね、ちょっと。》

 それでもその後は頻繁に実父との交流が続くようになります。実父はすでに再婚しており、異母きょうだいと会う機会もありました。少しずつ関係を深めていくように見えた矢先、実父はすでに病魔におかされていて長く生きられないことを知ります。入院先には頻繁に見舞いに通ったのですが、高校を卒業して就職のため上京してまもなく、実父がすでに亡くなっていて、葬儀も終わっていたことを、実母から聞かされるのです。

《自分でもその、(実父の死に)あまりショック受けると思わなかったんで、その、予想以上にショックでしたね。その、うーん。だから、そう思うとやっぱり、何か、家族だから特別な気持ちがあるのかなと思いましたけど。》

 幼少期に別れたまま別居親(あるいは親族)と交流がなければ、継親との関係に葛藤が高まり深刻な虐待的行為が行われたときに、どこにも逃げ場がなく支援者もいないことになります。智子さんのように、継父から進学への理解と経済的援助が得られない場合には断念せざるをえず、自立に向かうための資源を何ひとつ持てないまま成長するしかありません。その当時、再会したばかりの実父に相談すれば学費を出してもらえそうだったけれども、継父のメンツをつぶすことになると気遣って、言い出せなかったそうです(実父と再会したことも継父と弟妹には秘密なのでした)。

 もし、再婚後も実父との交流が続いていて、父親としての役割を実父と継父が協働することができていたら、進学への理解と支援を受けて希望を叶えられたかもしれません。進学をめぐって継父との関係が悪化した青年期に、ほぼ同時期に病死というかたちで智子さんは実父との別れを経験しています。再会して交流を深めつつあったさなか、まだ親密な感情を確かめられないまま別れた実父への、大きな喪失感を抱えているように見えます。継親と実親の双方の喪失を象徴する事例といえるでしょう。

《まあ全部納得はできてるんですよ。今の戸籍上の父(継父)とか、血縁の父とか、そういう頭の中で全部理解できてて、どっちもお父さんなんだろうなっていうのはわかってる状態なんですけど。うーん。お父さんではないなっていう感じ。(中略)どちらも。本当の意味でのお父さんとは言い切れないっていうか。》

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大人側と子ども側で家族観にギャップがある

 智子さんのほかにも、継子や継親の立場にある方から聞き取った事例を、本書には多数掲載しています。いずれの事例にも共通するのが、大人側(実親・継親)と子ども側とのあいだで、家族観にギャップが生じていることです。

 実親は継親に、子どもの「親代わり」となることを期待し、継親も「新しいお父さん/お母さん」として役割を果たそうと努力します。親や継親は疑うこともなく、子どもに継親を「親」として受け入れるよう求めます。その一方で、子どものもうひとりの実親である別居親の存在は、最初からいなかったかのように、無視あるいは軽視されてしまいます。

 しかし、子どもが以前の家族のいい思い出や、別居した実親のいいイメージを持っている場合もあります。幼少期に別れた実親の記憶がなくても、思春期に自分のルーツに関心をもち始め、もうひとりの血縁の親やその親族のことを知りたいと思っても不思議ではありません。大人が理想とする「ふつうの家族」よりももっと柔軟に、子どもは家族の変化を受けとめようとしているのです。