歌舞伎町でカイロやマスクを配るワケ
警備会社の退職後、坂本さんは人権問題を扱う国際NGOに契約社員として1年だけ在籍したが、'14年11月、自分が寄付をしていた、人身取引の被害者を支援するNPO法人に転職した。
同法人は、児童買春や児童ポルノ、AVへの出演強要、望まない性産業での従事などに巻き込まれた当事者の相談に乗り、解決に向けての支援を行う組織だ。坂本さんはそこでファンドレイジング(資金調達)を担当。とはいえ、事務局として電話もとれば、外部機関との諸調整も行う。
折しも、アダルトビデオへの出演を強要される「AV強要」が社会問題となっていた時期。坂本さんは、AV撮影を強要されそうな女性からの電話があれば、ほかのスタッフとともにその会社に乗り込み代理交渉も行った。性的搾取の当事者への直接支援にやりがいを覚えていた。
一方で、もどかしい思いを抱くようにもなる。
「僕たちは電話やLINEなどで相談を待つ立場でした。でも、相談できない子や、相談という手段があることすら頭の中にない子もいるはずです。僕は、自分からそういう子たちを見つける必要があるのでは?と思ったんです」
実際、坂本さんと同じ思いを抱いていた20代の女性スタッフが「こちらから探しに行きましょう」と提案し、初めて坂本さんは歌舞伎町に足を向けた。
だが半年間、歌舞伎町に通っても、実際の相談につながった件数はゼロ。坂本さんたちは、ワケありと思われる女性を呼び止めては「私たちはこういう者です。何か困っていることがあれば、いつでも相談に乗ります」と書かれたメッセージ・カードを手渡したが、だいたいが「いいです」と足を止めない。そういう結果だからこそ、「相談もできずにいる子たちを助けたい」との思いがさらに強くなっていった。
坂本さんはあらためて、週に1度、歌舞伎町に向かうことにする。ボランティアを集め、作戦も変えた。
「われわれだって、チラシは受け取らないけどティッシュ付きなら受け取る。だから、何かモノを渡そうと。ちょうど秋口だったので使い捨てカイロを渡すことにしました」
ところが、それでも「私たちはこういう団体の者です」と自己紹介したとたんに女性たちはその場を離れた。そして坂本さんたちが最終的にたどり着いたのは、カードを貼ったカイロやマスクを「どうぞ」と渡すだけにとどめたことだ。すると「え、いいんですか。うれしい」との反応があり、そこから雑談を始めてくれる女性も現れるようになった。
「歌舞伎町には2年通い、やっと最後の半年間で反応が出るようになったんです。女の子たちのほうから、私の顔を見ると“マスクありますか”“友達の分もいいですか”と声がかかるようになりました」
信頼関係を築くには、なんと長い時間がかかるものだろうか。だが、ひとたび信頼されると、坂本さんは、彼女たちが歌舞伎町で立つようになった理由も把握するようになる。風俗店に所属するが取り分が少ないこと。その風俗店の経営も危ないこと。ホストの彼氏に貢ぐことで大金が必要なこと。家族仲が悪く家出したこと。友人の紹介で来たこと──。
同時に、坂本さんは女性たちから「恋人からDVを受けた」「家出してもう2年以上になる」「ホテルにもネットカフェにも泊まるお金もない」といった声を聞くことになる。こちらから手を伸ばして、ようやく声を発してくれる女性たちが、やはりいたのだ。
このスタイルで活動を継続したい。そこで決めたのが、自身でNPOを立ち上げることだった。
坂本さんは働いていた団体を退職し、'20年4月、任意団体『レスキュー・ハブ』を設立する(のちに、同年10月にNPO法人化)。
人権団体はどこでもそうだが、問題を解決するためには、行政機関(警察や役所)や医療施設、法律事務所、他団体とつながる必要がある。団体名には支援(レスキュー)の拠点(ハブ)となる意思が込められている。