2004年4月に全国発売されるとさらに口コミが広がり、ジワジワと長期間にわたって売れていった。それでも、チャートの上位に入るまでには1年半かかったという。
「毎週200枚~300枚くらいコンスタントに売れていましたが、ランキングでは120位~130位くらいをウロウロしていましたね。まだSNSがない時代でしたが、インターネットの掲示板が少し流行りだしていたので検索してみると、《友達から教えてもらったけど、めっちゃいい曲!》とか《彼氏から聞いて好きになった》とか、たくさんの書き込みがありました。それを見て、すごい広がり方をしているなと」(北清水)
『青いベンチ』という、一見普通そうに思えて特徴的なタイトルだが、モチーフはあったのだろうか。
「青春期の誰もが感じる恋心を歌にしているので、その部分での“リアル”はあるんですけど、彼女を駅のベンチで待っていたりという10代の恋愛は、僕自身の実体験ではないです。
でも、曲のタイトルでもある青いベンチというアイテムは、地元の駅に実際にあったり、実家の目の前の空き地にもポツンと1つだけあって、そこに高校生のカップルが座ってしゃべっていたり、そういう恋模様みたいなものを掘り起こして歌にしていきました」(北清水)
高校生の教科書にも載った
最終的に30万枚以上のヒットとなり、オリコンでは最高8位を獲得。この曲が収録されたミニアルバム『Smile』も45万枚を売り上げた。快挙はこれだけにとどまらず、高校の音楽の教科書に掲載され、合唱コンクールでも定番の“国民的楽曲”となっていった。
「“すごいことが起きているね”という話はしていました。音楽ランキングを掲載していた『オリコンウィークリー』という雑誌は毎週買っていましたね。やっぱり、順位が上がっていくと気分も高揚しますし、家族もそういうのを見せると喜ぶんです。友達から“CD買ったよ!”とサインを頼まれるのもうれしかったです」(奥山)
埼玉ドリームをつかんだ彼らだが……厳しい現実にほどなくして直面してしまう。
「5年間活動しましたが、その後はなかなか思うようにヒットが出ず、契約を終了することに。クビではあるんですけど、自分たちの意思でもあったという感じです。契約終了より解散を決めたことのほうが先でしたね」(北清水)
こうして2009年4月、2人は別々の道を歩き始める。
「解散を言われたとき、驚きはしましたけど、当時僕も含め、そういう雰囲気があったんだと思います。僕には1人で音楽をやる選択肢はなかったので、マネージャーという裏方の道に進みました。スケジュール管理やタレントさんの送迎などをしていましたね。大変なこともありましたが、それまでの経験でタレント側の気持ちもわかる部分があったので、とても充実した日々でした」(奥山)