状況が絡み合って意味のわからないことに
こうした風潮が生まれる一因には、政府や報道の煮え切らない態度もありますよね。たとえば、政府は開催を強行しようとしているから、中止したことによる賠償金については「考えたことがない。あるのかどうかも検討がつかない」と濁しています。それによって、賠償金がネックになるから中止できないなと思っている人もいるはず。はっきりしないから国民の不安も募る。
また、各国のメディアでは「開催は難しいだろう」という見方が多いけど、国内の主なテレビ局はスポンサーである多くの日本企業が五輪に絡んでいるから、積極的な中止論を報道するのを控える傾向にありますよね。だけど、そもそもスポンサーというのは、企業のイメージアップのためになるわけだから、この状況でどう動くかということでも、ある意味イメージアップを図れるんじゃないかと思いますけどね。
苦渋の決断だし、勇気のいることではあると思うけど、議論をしましょうと声を上げるだけでも、逆に国民に対して良い印象を与えることもできるんじゃないかと。
いずれにしろ、こうした状況が絡み合って、さまざまな憶測が生まれ、開催可否の議論が精神論や右だの左だの、意味のわからない方向性になってしまっているように感じます。
疫病は撲滅するのに、一般的に数年はかかると言われています。アフターコロナの世界では、考え方も、生活様式も、そしてスポーツのあり方も変わっていくでしょう。
いままでの様式に戻そうとするから、無理やり従来の形で強行しようという意見も出てくるけど、戻すのではなく変えるべきところは変えていく。いままで通りにやろうというのではなく、どういう形で変えていけるのかを考えていくことが大切になってくるんじゃないかと思います。
〈文・岸沙織〉