病院の入り口には医師が待機。体調がよくなかったので、車いすに乗り、個室に連れていかれた。初日はCTと血液検査をひととおり実施。このとき呼吸困難はなく、食欲も十分。病院食の量を増やしてほしいと頼んだくらいだったという。しかし、CTの結果は肺炎。
「それでも、3日くらいで退院できるのかな、と思っていたんです。毎日10種類くらいの薬を飲んでいたし、よくなるもんだと。そして、投薬ももう終わりという日の翌日。容体が急激に悪化したんです」
死を意識する中で、なによりつらかったこと
深夜から自発呼吸ができなくなり、血中酸素の数値が悪化。人工呼吸器管理、人工心肺装置を使用となった。意識ははっきりとあった。呼吸が苦しいというより、全身がひたすら苦しかったという。
「はっきりと死を意識しましたね。この急激な展開はもうダメだなと。なによりつらかったのは、実は便秘からくる苦しさ。日中、高熱が何日か続いたことで、全身が少しずつ弱っていったから、排便や排尿する力が落ちていたんですよ」
当初、1日1度の回診に来ていた担当ドクターから突然笑顔が消えたのを覚えている。
「ほかのドクターからその担当ドクターに電話があったとき。“予断を許さない重症患者の診察をしているんだ”と言っているのを聞いて、ああ、私は相当悪いんだなと」
入院から2週間たった今、Aさんの肺炎症状は和らいでいる。ただ合併症による血中酸素の数字がいまだ低く、血栓の危険もあると言われ、全身に管がつながれたままの状態だ。1日に5回の薬投与、毎日の血液検査、点滴交換。コロナ専任の看護師が90分に1度まわってくるという。
「区の保健所が選択した、この大病院にたまたま入院させてもらえて、重症化にもしっかり対応してもらえたのが幸運だった。しかも個室料が無料。これが自宅療養やホテル療養だったらと思うと……。本当に命拾いをしたな、と」
入院前に69キロあった体重がわずか5日間で62キロまで落ちた。
Aさんの病室からは東京が一望できる。およそ2か月後にはこの眼下で、未曾有のイベントが繰り広げられるという事実を、信じられない思いで受け止めている。