ヒョウ柄で臨んだ「半沢直樹」の世界
当初、千津さんのキャリアにアパレルの要素はなかった。社会人としてのスタートは大手メガバンク。1年目から花形のエースが集まる支社に配属された。担当は中堅中小企業の営業。華やかな実績を残した先輩や優秀な同僚たちの中で、千津さんは最初から居心地の悪さを感じていた。
「銀行なら海外に駐在できそうだと考えたんです。何年か頑張れば行けただろうけど、私はどうしても社風になじめなかった。歌舞伎役者のような人はいませんでしたが、あのドラマに近い世界でした」
そこはまさに『半沢直樹』の世界。仕事のルールを定めた「手続きマニュアル」は厚さ10センチ以上もあった。
「私、ダメ銀行員だったと思います。そもそも、銀行の仕事の意味を理解できていなかったし、ルールを覚える気になれない。全く興味が湧かないんです。これって何のためのルールなんだろうと考えてもわからない。
それに、見渡すとスーツも髪の色もみんな同じ。このままじゃ個性が潰されると思って、ヒョウ柄や原色のカットソーを着たり、網タイツはいたり、ネイルを派手にしたりしたので、問題児扱いされてました(笑)」
通常は序列で並ぶ席順、本来なら新人は末席のはずだが、ある日、千津さんだけが支社長の目の前に席替えとなった。
「きっと、支社長にも心配されていたんでしょうね(笑)」
そんな千津さんが、唯一素直に話せた上司が豊田育雄さん(56)、千津さんが所属していた部署の部長だった。
「さすがにその服は営業担当としてどうなの、と声をかけたこともありますが、反抗しているような嫌な感じはないんです。私は本人のファッションセンスなんだろうと捉えていました。素直な明るさがある自然体の人ですね。仕事のやる気はあまり感じなかったけど、そこそこうまくまとめてくる。そんなにダメなイメージはありませんでしたよ」
豊田さんにとって印象的だったシーンがある。千津さんの営業に豊田さんが上司として帯同したときのこと。電車からバスに乗り継ぐと、迷わずいちばん後ろの席に向かってちょこんと座り、バッグからゴソゴソとスナック菓子を取り出してこう言った。
「遠足みたいですね。豊田さん、お菓子食べます?」
「普通はそういうこと上司にしないですよね(笑)。私も驚きました。それでも笑って突っ込める。典型的な銀行員ではありませんが、お客様に対しては誠実だし、可愛がられていました。厳しい先輩にはちゃんと距離をとっていましたから、無謀な感じもありません。相手を見ながら、人との距離感を適切に詰めるのがうまいんですね」
職場の同僚や上司に恵まれて2年が過ぎようとしていた2011年3月、東日本大震災が起こり、千津さんは銀行を辞める決心をした。