銀行の仕事と自分の志とのギャップ
銀行の仕事は、順調な企業に融資して資金を増やさなければならない。そのため、経営状態が厳しいところには厳しい態度を取るのが基本だ。それがずっと心に引っかかっていた。
「私が大学や院で学んだこと、インターンとしてNGOで携わってきた活動は、厳しい状況に置かれた人たちの生活をいかに改善するかという目的がありました。ところが、銀行ではまるっきり逆のことをしている違和感がずっとあった。東日本大震災を経験したとき、やりたいことを先延ばしにするのはやめよう、すぐに取りかかろうと決めました」
千津さんが海外に興味を持ったのは高校2年生のころだ。世界史の授業で、日本人初の国連難民高等弁務官・緒方貞子さんのドキュメンタリー番組を見て衝撃を受けた。
「正しいことをするっていちばん難しいじゃないですか。緒方さんは、政治的な軋轢やプレッシャーがあっても、『人が苦しんでいたら助けるのは当然です』と平然と突き進み、やり抜く。その強さがカッコよかった」
早稲田大学法学部で国際関係を学び、一橋大学大学院に進学。民族紛争の研究を進めたが、社会の課題を解決するにはお金の動きを知る必要があると考え、銀行を選んだ。
「大学で研究者として進むという選択肢もあったと思うんです。研究して論文を書いて、大学生に講義をして、若い世代に託す。だけど、何百人に伝えても、きっと実際に行動に移せるのは数えるほどですよね。それで本当に社会が変わるのかな、もっと有効なアクションはなんだろうってずっと考えていました」
院生のときにインターンで関わったNPOの『TABLE FOR TWO International』では、アフリカの食料問題にアプローチした。
「NPOの代表の小暮真久さんは、元外資系のコンサルタントでした。民間企業を巻き込みながら資金面での持続性も担保し、インパクトの大きな活動をしていました。これだ、と思って。研究者になって私にできることといえば、誰も読んでくれない論文を書くことくらい。それよりも、社会に与える影響がずっと大きいと思ったんです」
自分の志に立ち返り、社会支援を目的とした起業を目指し、アフリカに行こうと決めた。とはいえ、何のアテもなく1人で行くのは心もとない。アフリカに駐在できるNGOへの転職活動を行い、内定を受けて銀行を辞めた。退職を決めてから半年、26歳の秋だった。
内定先は笹川アフリカ協会(現・ササカワ・アフリカ財団)、農業支援を行うNGOだ。最初の2年半は東京オフィスからアフリカ各地に出張に出かけた。ケニア、ガーナ、マリ、ナイジェリア、ジブチ、エチオピア──。アフリカ各国の農地へ足を運ぶ日々が続く。
「実は私、それまでアフリカに行ったことがなかったんです。それに、日本でも外出先のトイレを使えないくらい潔癖症で(笑)。トイレや食事、生活面が心配だったけど、実際にいろんな国に行くことができて、なんとかなりそうだとめどが立ったころ、ウガンダへの駐在が決まりました」
2014年のことだ。千津さんがアフリカの中で最もその土地や人の魅力に惹かれていた国だった。
カラフルな布の山で宝探し
ウガンダに移り住み間もない休日、青年海外協力隊としてウガンダで活動していた日本人の友人に誘われ、市場へ出かけた。
「面白い布屋さんがあるから行こう!」
店に入ると、床から天井まで壁一面にぎっしりとカラフルな布が積み上げられている。模様は一枚一枚すべて違った。その光景に圧倒されていると、店員に長い棒を渡された。
「この棒で欲しい布を指せば取り出して見せてくれるよ」
友人に言われ、千津さんは胸の高鳴りを覚えた。
「もう、本当に楽しくて。布の山から自分の好きな柄を選ぶのは、まるで宝探し。その場で2時間ぐらいあれこれ見せてもらいました」
それから休みのたびに足しげく通うようになり、選んだ布をお気に入りのテーラーに持ち込んでは服を仕立てた。
そして布屋に通ううちに、農業よりもアフリカンプリントの布に心惹かれていった。
個性的な柄には意味が込められているものもある。お金のシンボル「ツバメ」、誰よりも早く走るという意味の馬が描かれた「ホースホース」、正義の象徴「サークルサークル」、井戸に雫が落ちる様子を描いた「アイ柄」、人生のバイオリズムを表した「ウェーブ」も人気の柄だ。
アフリカンプリントは、周囲に好まれるファッションではなく、自分が好きなものを選ぶ自由と素晴らしさを思う存分楽しむことができる。
「銀行で自分を見失いそうになっていたとき、人とは違うカラフルなおしゃれで支えられていました。ダーク系のスーツに差し色や柄を組み合わせて楽しむことで、自分らしさを守ることができた。それを思い出しました。自分で選ぶ色や柄は、個性を代弁してくれる。そのままでいいんだって思える。私のラッキー・アイテムになっていきました」
日本人の友人や母親にも贈ってみると、みんなとても喜んでくれた。
「これで起業できるかもしれない」
アフリカンプリントを使ってウガンダでバッグの制作をできないか。バッグや雑貨なら洋服と違って季節は問わない。そう思いつき、「手先が器用な人はいないか」とあちこちで声をかけ始めた。