ビートたけしに“本にすべき”と言われて

 その後はラジオなどでマイペースに活動していたが、番組の共演者にすすめられ、講演会を始めることになる。

共演した文化人の先生から“話もうまいから向いているんじゃない?”と言われ、やらせてもらったら、思いっきりウケて。漫才もそうだけど、自分は生でお客さんを相手にする仕事が向いているなと。やるからには講演会で日本一を目指そうと、活動の場を移すことに。今までの登壇は5000に迫る回数です

 講演会で『佐賀のがばいばあちゃん』のエピソードを話したところ、ビートたけしのすすめもあり、本にすることに。

『佐賀のがばいばあちゃん』(購入するには書影をクリック)
【写真】島田洋七の盟友、ビートたけしの家族写真

たけしに講演会でどんな話をしているのか?と聞かれ、ばあちゃんのエピソードを話したら、“本にすべき”と『振り向けば哀しくもなく』とタイトルまで考えてくれて。出版社に売り込んだけど、当時の俺はテレビに出ていなかったから、どこも相手にしてくれなくてね。それで自費出版することに

 盟友・たけしがつけたタイトルだったが、まったく売れなかったという。

「講演会のたびに手売りしても5冊ぐらいしか売れない日が続いて。それでせめて佐賀だけでも売れたらいいな……とタイトルを変えたところ、火がついたんです」

 

 '01年にタイトルを変更して発売し直したところ累計670万部の大ヒット。

ヒットしたら講演会のギャラも3倍になったんですよ。それでも漫才ブームのときのほうが稼いでいたけどね(笑)。

 当時は吉本に戻っていたんだけど、俺が本を出すまで出版ビジネスには無関心だった。本を出すときも“自由にやってください”とノータッチ。『がばいばあちゃん』の印税で吉本と揉めたと書かれたりもしたけど、そもそも関与していないから揉めようがない(笑)