ダチョウ倶楽部や今田耕司も!
ダチョウ倶楽部3人と電撃ネットワーク・南部虎弾
当初、ダチョウ倶楽部のリーダーは南部だった。が、「ビー玉飲めるか?」と南部に尋ねられた上島は拒否。南部は脱退、より過激な“電撃ネットワーク”を結成し、世界で活躍。
宮川大輔と星田英利(旧芸名:ほっしゃん。)
“チュパチャップス”として活躍するも、宮川が星田の祖父の形見のタバコを勝手に吸い「まずい」。当然、険悪に。その後、東京進出で意見が分かれ、名古屋駅で解散!
カズレーザーとさらば青春の光・東ブクロ
同志社大学の喜劇研究会で出会い、“フルハウス”を組む。当時から金髪で全身真っ赤なカズレーザーは、1学年下の東ブクロに「入るの? じゃあ、俺のことレッドって呼んで!」
モンスターエンジン・西森とおいでやす小田
2人のコンビ“蛇腹”は約1年半で解散。西森は'10年ごろにコント『神々の遊び』で人気に。昨年の『M-1グランプリ』に小田の決勝進出が決まった際には、「何したの、お前?」と西森から言われたらしい。
ゴールデンボンバー・鬼龍院翔としずる・池田
NSC時代に“チョコサラミ”を結成。鬼龍院ばかりが月1の選抜ライブに出演し、舞台に立てない池田はライブ会場の外で号泣。嫉妬ゆえの解散だった。
“東京ホルモン娘”として活動していたが、イモトが『世界の果てまでイッテQ!』のオーディションに合格し、自然消滅的に解散。バービーは“フォーリンラブ”を結成。
マキタスポーツとハチミツ二郎
サンキュータツオ(現・米粒写経)を加えた3人トリオ“カミナリボーイズ”として活動した後、マキタはピン芸人に。ハチミツは東京ダイナマイトを結成。
ミキ・昴生とインディアンス田渕
“やぶれかぶれ”を組んでいたのはおよそ半年。田渕の現相方・きむは、田渕のことがどうしてもあきらめられず、毎日メールを送って口説いていたとか。
俳優・田口浩正と芋洗坂係長
芋洗坂がダンサーとして働く六本木のショーパブで、俳優志望だった田口と出会い“テンション”を結成。その後、田口は俳優に。'08年、芋洗坂は『R-1』で準優勝。
小島よしおとかもめんたる
早稲田大学のお笑いサークルで出会い、5人組の“WAGE”を結成。解散後、小島のブレイクを受け、岩崎と槙尾が“かもめんたる”を結成、'13年『キングオブコント』で優勝。
青木さやかと東京ダイナマイト松田
名古屋で5人組ユニット“温泉こんにゃくアクロバットショー”を組んでいた。数年前のバラエティー番組で、青木は「いちばん仲のいい男友達は松田さん」と明かしている
ほんこんと今田耕司
“ダブルホルモンズ”を組んでいた。ほんこんの現相方・板尾創路(130R)はかつて“ホンコンマカオ”というコンビだったが、その名を気に入った蔵野孝洋は、自らの芸名に。
ロバートの秋山&馬場とインパルス板倉
NSC(吉本総合芸能学院)時代は“ゼナイル”だった3人。ツッコミだった板倉が“俺もボケたい”と脱退することに。人見知りな板倉だが、今でも秋山のことだけは下の名前で呼ぶのがエモい。