「長女が婿さんと孫を連れて、眞須美に面会に来たそうです。“色が白い子で、婿さんに似て、目のクリッとしたかわいい子やった”って」
14年前の'07年、雑誌のインタビューに答えるのは林健治さん(76)。“眞須美”とは、健治さんの妻で、'98年7月に起きた『和歌山毒物カレー事件』で逮捕された林眞須美死刑囚(59)のことだ。
和歌山市園部の夏祭り会場で提供されたカレーを食べた人が次々と嘔吐。4人が死亡、63人が腹痛と吐き気に襲われるという大惨事となった。のちにヒ素中毒であることが判明し、事件から2か月半後に眞須美死刑囚が逮捕される。
再審請求が受理されたのと同時に悲劇が
冒頭の孫は眞須美死刑囚にとって初孫で、目に入れても痛くない存在だった。そのため、拘置所で自ら孫の名をつけたという。その名は“心桜”と書いて“こころ”と読む。
「字画を全部調べて、縁起がいい名前を、一生懸命考えてつけたそうです」(健治さん)
この健治さんのインタビュー直後、死刑判決が確定した眞須美死刑囚。それが再び動き出したのは今月9日。和歌山地裁に無実を求めて再審請求を行い、受理されたことが明らかになった。眞須美死刑囚にとっては一縷(いちる)の望みになったことだろう。だが時を同じくして、悲劇が起きる。愛孫(あいそん)の鶴崎心桜(こころ)さん(享年16)が変死する。名づけ親たる祖母の朗報を知らぬまま。
9日の午後2時過ぎ、和歌山市内の自宅アパートへ帰宅した眞須美死刑囚の長女・A子さんは、倒れている心桜さんを発見。すぐさま119番通報した。
「帰ってきたら娘の意識がない。血みたいな黒いものを吐いている」
しかし、搬送先の病院で心桜さんの死亡が確認された。全身打撲による外傷性ショック死だった。全身には古いあざも多数。いったい何があったのか──。心桜さんの死亡時、自宅にはA子さんとその夫、4歳になる妹と一家全員がそろっていた。
その数時間後、A子さんと妹は関西空港近くの海に遺体となって浮かんでいた。A子さんは全身打撲による多発外傷、妹は水死だった。A子さんは赤い自家用車に妹を乗せて関西国際空港の連絡橋まで行き、そこから海に身投げして無理心中を図ったとみられている。くしくも亡くなったA子さんの年齢は、眞須美死刑囚が事件で逮捕された年齢と、同じだった。