かつて世間の注目を集めた有名人に「あのとき、何を思っていたか?」を語ってもらうインタビュー連載。当事者だから見えた景色、聞こえた声、そして当時は言えなかった本音とは?第28回は、'73年に『コーヒーショップで』でデビュー。日本レコード大賞新人賞を受賞するなど、一躍スターの仲間入りを果たしたあべ静江(69)。婚約会見直後にお相手の男性に女性トラブルが発覚するなど、世間を騒がせた事件の真相とは―。

本当は4年制の大学に行きたかった

「歌手デビューは乗り気じゃなかったの」

 '73年、『コーヒーショップで』で歌手デビューすると、たちまち人気歌手になったあべ静江(69)。ラジオ三重や東海ラジオの専属ミュージシャンだった父親と、専属歌手だった母親という音楽一家で育った縁で、幼いときから少女歌手としてステージに立つ。小学生になってからは、'58年に誕生した東海テレビで子役としての活動もスタートさせる。

当時は生ドラマしかなかった時代。リハーサルを入念に行わないといけないから、仕事が1つ決まると学校を1週間ほど休んで朝から晩まで仕事する感じでしたね」 

 中学に入ると、子役としては少し大人っぽすぎるのでは……と感じるようになり、芸能活動を一度休止することに。そして愛知の短大と同時にTTC(テレビタレントセンター)に入学。TTCを卒業した短大2年のときに、エフエム愛知と東海ラジオの新番組を担当。ラジオDJとして芸能活動を再開させる。

「4年制の大学に行きたかったのですが、父親に反対されて。短大とTTCのダブルスクール生活を楽しみました」 

 なかでも東海ラジオの番組は好評を博す。また当時の制作部長が父親のミュージシャン仲間で、少女歌手時代を知っていたこともあり、歌手デビューの話が持ち上がる。

歌手活動には興味がなかったのですが、“2年間の契約が終わったら辞めていいから”と説得され、デビューすることになったんです

 デビューすると、正統派美人歌手として人気を集め、『第15回日本レコード大賞』新人賞を受賞するなどブレイク。しかし2枚目のシングル『みずいろの手紙』を発売する際には、こんな事件が。

歌詞を見たときに、男性に依存するような女性の歌だと感じたんです。当時は女性が社会進出したり、強くなり始めていた時期。時代にも逆行しているし、私が考える女性像とも違ったので、この曲は歌ってはいけない。私自身がこの歌に描かれている女性だと思われる……と本当に嫌で“歌いたくない!”と抵抗したんです。

 でもレコーディング当日、大人たちに説得されて泣きながらスタジオに入って歌ったんですよ。大人たちに屈してしまった自分が悔しくて収録中も泣いていたんですが、それが結果的に歌の世界観にマッチしたみたいで(笑)。この曲で『NHK紅白歌合戦』にも出場しましたが、内心は複雑でしたね」