「お坊っちゃま、ご立派になられて」
なのに我を通そうとなさるから、新人ふたりはうさの捨てどころ。田中さんはベレー帽をかぶってブルゾンを着て、格好は超一流監督だったけど、中村鴈治郎さんや滝沢修さんを前にすると何もおっしゃらない。脚本やセリフの直しが多く、あまりに撮影が進行しないので、(『人間の條件』などを担当した)撮影監督の宮島義勇さんが「うーん、困った」とよく愚痴をこぼしていらした。
おまけに、主役の有馬稲子さんは、萬屋錦之介さんと結婚したばかり。撮影には気分が乗らず、早くお家に帰りたいお気持ち。脚本もお気に召さず、有馬さんの気持ちも十分わかるけれど、撮影もままならなくて、正和ちゃんじゃなくても泣きたくなったわよ。
かつらを使わず、すべて地毛で結っていたから、現場入りは朝の5時。せっかく早朝から待機していても、ヒロインが来ない! 暇を持て余すと、私は髪を結ったまま撮影所でキャッチボールや野球をしていたから、一緒になって正和ちゃんも遊んでいたの。美少年だけど、おとなしくてどこか恥ずかしそうにしている、そんな姿が印象的だった。
やっと撮影がアップすると、みんなで京都駅まで正和ちゃんを見送りに。ホームで「受験がんばってねー!」って大声を上げながら手を振ったことを覚えている。
その後、正和ちゃんは本当にハンサムな、素敵な俳優になった。『古畑任三郎』(フジテレビ系)を見るたびに、あのときの弟役の姿を思い出し「お坊っちゃま、ご立派になられて」なんて、テレビの前で思っていたわ。
冨士眞奈美●ふじ・まなみ 静岡県生まれ。県立三島北高校卒。1956年NHKテレビドラマ『この瞳』で主演デビュー。1957年にはNHKの専属第1号に。俳優座付属養成所卒。俳人、作家としても知られ、句集をはじめ著書多数。
(構成/我妻弘崇)