「自殺の名所」に冷ややかな地元の視線

 茂さんが活動を開始した'04年当時、日本の自殺者は毎年、3万人超えが続き、主要7か国(G7)の中では最も多かった。

 3万人を初めて超えたのは1998年。バブル崩壊の影響というのが有力な説だ。その前年には山一證券や北海道拓殖銀行の倒産が相次ぎ、日本の自殺問題は深刻化の一途をたどった。ところが、自殺対策に関して国の基本方針は策定されなかった。このため茂さんはNPO開設時に行政からの支援を受けられず、茶屋の家賃を含めた年間約100万円の経費はすべて手弁当だった。

 こうした政府の「無策状態」が続くなか、自殺者の遺族や自殺予防活動に取り組む民間団体から、「個人だけでなく社会を対象として自殺対策を実施すべき」といった声が強まり、国会でのシンポジウム開催や自殺対策の法制化を求める署名活動などの動きが広がり、'06年、自殺対策基本法が成立した。その3年後には、自殺対策のための基金が設立され、100億円の予算が各都道府県に配分された。

 茂さんのNPOも県から助成金が受けられたが、救済した人を保護するシェルターや当面の生活支援費などで経費は膨らみ、すべてを助成金でまかなえなかった。

 その穴埋めについては、年間数十回の講演活動でやり繰りしていたと、茂さんが笑いながら「秘策」を明かす。

「講演料といっても1回数万円です。経費はまかなえないので、茶屋でついたおろし餅を講演会場に持ち込み、売っていました。8個入り1パックで1000円!」

 こうした茂さんの地道な活動は、『自殺したらあかん! 東尋坊の“ちょっと待ておじさん”』(三省堂)をはじめとして7冊の著書にもなっている。日本のメディアだけでなく、海外からも注目され、米CNNや英BBCをはじめ、17か国の取材に対応した。『命の番人』というタイトルでドキュメンタリー映画にもなり、'16年、ロサンゼルス国際映画祭で短編ドキュメンタリー賞を受賞した。

 こうして世界中から脚光を浴びることになったわけだが、地元、特に観光業界からの視線は冷ややかだった。当初は反発も強かったと、茂さんが渋い表情で振り返る。

「東尋坊のイメージが悪くなるから、こそっとやってくれと言われました。新聞やメディアの取材には応じるなと」

 東尋坊は前述のとおり、風光明媚な景勝地だから、報道によって「自殺の名所」というイメージが定着するのを避けたい、というのが地元側の総意だったようだ。だが、茂さんがNPO法人を立ち上げる前からすでに、東尋坊の年間自殺者数は多いときで30人を超え、その名はすでに知れ渡っていたはずだ。

県内外からの来訪者でにぎわう観光名所でもある東尋坊。そのため、自殺のイメージが強調されるのを避けたい地元と、茂さんたちとの間で軋轢が生じたことも 撮影/齋藤周造
県内外からの来訪者でにぎわう観光名所でもある東尋坊。そのため、自殺のイメージが強調されるのを避けたい地元と、茂さんたちとの間で軋轢が生じたことも 撮影/齋藤周造
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 茂さんはこうも言う。

「地元の観光業界の中には、“自殺の名所”との評判を逆手に取り、客寄せに使っているところもありました」

 当時を知る観光業界の関係者に聞いてみると、こんな反応が返ってきた。

「助かった人たちに警察が事情聴取をしたところ、この地に縁のない人が多かったんです。“自殺の名所”という報道を目にしたので東尋坊に来たと。そういった宣伝による逆効果を防ぎたかった。観光業界が自殺者を防ごうという崇高な理念を妨害したなんてことは一切ないし、自殺者を防ぎたいという思いは茂さんと一致しています」

 茂さんが活動開始後は自殺者が減少、'14年には初めて一桁台に達し、7人まで減った。過去10年の年間平均自殺者数でも11・6人と、活動開始前に比べて圧倒的に少なくなった。「自殺の名所」報道によって確かに、自殺を決意した人々が東尋坊に集まった可能性はあるものの、逆に東尋坊の存在が知れ渡らなければ、彼らは「命の番人」の網の目に引っかかることもなく、ほかの場所で自殺していたかもしれない。そもそも彼らは「死にたい」のではなく、「生きたい」から話を聞いてほしいのだ。

自殺の名所」のイメージを逆手に取った客寄せについては、東尋坊観光交流センター内にある一般社団法人『DMOさかい観光局』の担当者がこう説明する。

県内外からの来訪者でにぎわう観光名所でもある東尋坊。そのため、自殺のイメージが強調されるのを避けたい地元と、茂さんたちとの間で軋轢が生じたことも 撮影/齋藤周造
県内外からの来訪者でにぎわう観光名所でもある東尋坊。そのため、自殺のイメージが強調されるのを避けたい地元と、茂さんたちとの間で軋轢が生じたことも 撮影/齋藤周造

「その昔、平泉寺にいた『東尋坊』という悪僧が、断崖絶壁から突き落とされた伝説に由来しているのだと思います。確かに遊覧船ではその伝説が放送されていましたし、数年前までは観光パンフレットにも掲載されていました。それが“自殺の名所”としてのイメージにつながった可能性はあります」

 東尋坊を訪れる観光客数は右肩上がりだ。茂さんが活動を開始した'04年は98万3000人で、翌年に100万人の大台に乗り、以降は増え続けた。東日本大震災の発生後は一時的に減少したが、北陸新幹線が金沢まで延伸した'15年には、関東からの観光客増で過去最多の約148万人を記録。以降は横ばいが続く。新型コロナの感染が拡大した昨年は、大幅に減ったが、昔も今も東尋坊は県内有数の観光地の座をキープし続け、魅力のさらなる向上に向けた再整備計画も進められている。

 そうした時代の変遷もあってか、茂さんの活動にも理解が生まれているようだ。

 前出・DMOさかい観光局の担当者はこう続けた。

「観光に携わる立場から言うと、『自殺』という言葉を使うのはやはりタブー。マイナスイメージがメディアを通じて露出されるのは避けたいです。それよりも明るいイメージを出したほうが、自殺のために訪れる人が減るかもしれません。

 とはいえ影の部分があるのも事実ですし、それに対してボランティア活動を続ける茂さんには感謝しています」

自殺が社会問題となるにつれ、茂さんの活動への理解も深まるように。講演依頼も増えた
自殺が社会問題となるにつれ、茂さんの活動への理解も深まるように。講演依頼も増えた