勤務先「住友銀行」と残した千佐子被告の意地
「千佐子被告は『私は九州大学に行って、学校の先生になるつもりだった。それが、父親から『男であるお前の兄も大学に行っていないのに、女のお前が大学に行くのは許さない』といわれて、しかたなく就職した』と、悔しそうに語っていました。
東筑高校は当時から東大合格者もずっと出しているような名門進学校。昭和21年生まれの千佐子の時代ですから、父親のそうした考えも当時としては当然なのかもしれません。が、彼女にとっては人生を潰された瞬間だったようです」(前出の記者)
教師の道を諦めた千佐子被告が就職したのは、都市銀行の住友銀行(現在の三井住友銀行)だった。その後、最初の夫と出会い、大阪に居を移す。二人の子どもをもうけたのだが、夫と二人でやっていた自営業はバブル崩壊とともに立ち行かなくなり、夫とも死別する。その後は自宅などを売却するなど、苦労をしていたようである。
「それから数年はヘルパーなどの仕事をしていたようですが、老人相手の結婚をはじめたのは、子どもたちが独立してからのようです。二人の子どもを大学まで出して、一人は教職についたとか」(前出の記者)
千佐子被告は、手を下した結婚相手たちから総額で10億円とも言われる遺産を相続しているが、そのほとんどを先物取引などの投資の損失でなくしているという。その後、他に収入はなく、逮捕される前には生活保護の申請までしていた。
「拘置所に面会に行った逮捕前から取材していた記者たちは、みな千佐子被告の変貌ぶりに驚いています。かなり老け込んで実際の歳より上に見える。その上、話をしていても、老化が進行しているのか、かなり記憶が曖昧なんです」(前出の記者)
筧千佐子被告はその人生の最後を死刑で終えることになるのか。「死刑はいや」という獄中の声が報道されているが、自らの人生をいまふり返って、何を感じているのか。
2010年に発行された東筑高校の同窓会名簿には、千佐子被告の住所と名前がある。この同窓会名簿は進学校らしく、現在の職業と進学した大学名が書かれている。2010年当時、60代に入った千佐子の同級生たちは男女ともそうそうたる肩書と学歴がならぶ。
そんな中、千佐子被告は当時住んでいた大阪の住所が正しく書かれているにも関わらず、住友銀行という就職先が記載されたままになっていた。これは大学を出た同級生たちに対する被告なりの見栄、というより、同じくエリートとしての意地みたいなものを感じる。もし、高校生の彼女に大学進学の道があったのなら、現在、拘置所で死刑に怯える人生ではなく、平凡な元教師の老女、のような人生もあったのかもしれない。