「自閉症は治る」と思っていた
GAKUの本名は佐藤楽音。2001年5月1日に横浜市で生まれた。出産も大変だった。母の祥江さんは当時をこう振り返る。
「妊娠中は切迫早産で2回入院しました。生まれたときは、へその緒が首に巻きついていたんです。分娩中に心音が消えて陣痛も急になくなった。お医者さんは何も言いませんでしたが、私はとにかく赤ちゃんに酸素を送らなきゃと思って、一生懸命深呼吸をしました。そうしたら心音が戻ってきて……。母子手帳には胎児切迫仮死と書いてありました」
3175グラムと身体は大きかったが、聞こえてきたのは、「ふにゃあ」という微かな産声だった。
愛称は「がっちゃん」。名づけたときは、「ガチャガチャした騒がしい子になるかな」と冗談で笑っていたが、名前のイメージ以上に大変だった。
産後は順調に育ったが、おっぱいでは足りずミルクを大量に飲む。飲み切ると癇癪を起こして大声で泣き続ける。規定の量の粉ミルクを多めのお湯で溶き、お腹を満たした。抱っこで揺らし、ベビーカーで動き続けなければギャン泣き。車に乗っているときも赤信号で止まっただけですぐに泣き始める。
「ハイハイもせずに6か月目で立ち上がり、1歳になると走り回るようになりました。1回の散歩では毎回2時間歩き続けるので主人が引き受けてくれました。とにかく目が離せない。身体の発達は早いのに、言葉はあまり出てこない。気に入らない食べ物が出るとスプーンを床に投げつける。でも男の子だし、こんなものかなと思っていたんです」
自閉症の診断を医師から受けたのは3歳のときだった。
「2歳の終わりごろから、同じ時期に生まれたお子さんはペラペラお話しするし大人の言うことも理解しているように見えました。でも、がっちゃんは言葉が遅いだけじゃなくてわかっていない。インターネットで心当たりのあることを調べたら、自閉症という言葉が出てきて、血の気が引きました」
はっきりとした診断を受ける前後、夫婦で自閉症について必死に調べた。アメリカで保険適用となっているABA(応用行動分析)という療法がよいらしいと知った。夫婦ともにアメリカの教育を受けて育ったため、出産前から「子どもが生まれたら小学校に入る前にアメリカで生活しよう」と話していたことも後押しした。
「一刻も早くアメリカに行こう」
父の典雅さんは日本での仕事を辞め、アメリカでの仕事を探し始めた。
「自閉症と言われても、最初はよくわからなかった。自分で閉じこもるという字を書くのだから引きこもりになるの? 病気なの? それくらいの知識しかありませんでした。当時は、日本で診断後のことを聞いても、月に1度診察を受けて様子を見るだけと言われて、ダメだと思った。アメリカに行けば、治る病気だと思っていたんです」