相手男性の前妻も、女性誌の取材にこんな告白をした。
「あのとき、たたみ込むように離婚を迫られた理由はこれだとやっとわかりました」
さらに、結婚翌年には、小林の仕事面に大きな変化が起きる。個人事務所の女性社長との決別だ。独立前も含めれば33年間も一緒にやってきた盟友だったが、小林が社長を解雇するかたちでその関係は終わった。その背景にも、結婚相手の現場介入があったとされたのである。
具体的には、小林の代名詞でもある『紅白』の豪華衣装について「なぜこんなに高いのか。僕ならもっと安くできる」と口を挟み、社長の辞任を迫ったというもの。見方によっては、小林が夫への愛に溺れるあまり、恩人を切り捨てたようにも映り、業界内でバッシングが発生した。その結果、レコード会社から契約を解除され『紅白』の連続出場も途絶えてしまう。
とはいえ、そこは子どものころから芸能界の荒波に耐えてきた小林、この逆風にも負けなかった。『紅白』の豪華衣装がアニメファンなどに“ラスボス”みたいと面白がられていることを知り、二次元やネットといったジャンルに接近。動画サイトの番組に出演するなどして、若い世代の支持を高め『紅白』にも復活を遂げるのだ。
'15年には週刊女性のインタビューで、かつてのバッシングについて、
「ありもしない話がまことしやかにどんどん流れていった。紅白に出場できなかったことよりも、そんなふうになってしまったことが悔しかった」
と反論。盟友との決別については、
「私が生きている中で優先順位が変わってきていた。まだ経験していない世界にも進んでいきたい、表現者としてクリエイティブでありたい」
という思いからだったと語った。
ある意味、ややリスキーにも見えたシニア婚が自分をまだ見ぬ世界へと進ませる契機となったわけだ。一方、八代や水前寺の場合はシニア離婚によって、新たな自分を生み出せると考えたのかもしれない。
逆境を歌い上げる演歌のように、その歌手たちも自然とイバラの道を追い求めるのだろうか。