女優・冨士眞奈美が語る、古今東西つれづれ話。今回は、芸名の由来となった生まれ故郷・静岡県三島市、そして三島に魅せられた五所平之助監督との思い出を綴る。
デビュー当初の芸名への抵抗感と
故郷への思い
冨士眞奈美──。この芸名は、さまざまな富士山を眺望できる、私の出身地、静岡県三島市から名づけられたもの。デビューするにあたってNHKの芸能部長さんが命名してくださったのだけど、実は当初、私はこの芸名がとても嫌だった(笑)。
だって、「富士食堂」とか「富士の湯」みたいじゃない? 今でこそ左右対称でいい名前だなって思えるけど、当時はなんだか女優とはかけ離れた、大衆的なイメージを想起させる「富士」が、名前になることに抵抗感があった。
ただし、富士山、そして生まれ故郷の三島は大好き。三島といえば、伊豆半島の入り口。清流、鰻が有名かしら。街並みはとてもきれいで、“静謐(せいひつ)”という言葉がよく似合う街だと思う。今昔が重なり合った様子は、きっと歩いているだけで気持ちが楽しくなるはずよ。
三島の歴史は深くて、豊か。
旧東海道で、小田原宿から箱根宿、三島宿までを『箱根八里』と呼び、“天下の険”と唱歌に歌われるほど。『三島女郎衆』は農兵節で有名。箱根峠を境に、小田原、箱根側を「東坂」、三島側を「西坂」というのだけれど、自然豊かな景観や杉並木、三島大社などの史跡が点在し、その文化の薫り高さは三島の市街地にも根づいている。
三島は、戦災を免れた点も大きい。隣の沼津は空襲に遭い、真っ赤に燃え上がった地獄の花火のような空を子ども心に覚えている。ところが、三島はまったく被害に遭わなかったので、三島宿時代の面影が今に残っている。
そんな三島の雰囲気に魅せられた人は少なくない。日本初のオールトーキー映画『マダムと女房』などを手がけた巨匠・五所平之助監督は、三島に惚れて、住み込んでしまわれたお方。