りえの“自殺未遂”を言いふらした
宮沢りえもまた、酒井さんとは疎遠になってしまったひとりだ。ある雑誌のインタビューで酒井さんは《(りえの)デビュー曲を考えたとき、頭に浮かんだのは「小室サウンド」》と小室哲哉に楽曲制作を依頼したのは自分であるかのように語っていたが、
「ありえないです(苦笑)。りえさんが歌手デビューした当時、酒井さんは現場から完全に離れていましたから。ただ“りえママ”ことお母さんの光子さんと仲がよかったのは事実」(前出・元同僚)
だがそれも、
「1994年にりえさんが京都のホテルで起こした“自殺未遂”を言いふらしたことがバレて、関係が切れちゃった。いま思うとかわいそうな人でした。芸能界という、つくられた世界にずっといて“自己演出”がやめられなくなってしまったのかなぁ。
“セクハラ訴訟”のこともあって“酒井さんは同性愛者だ”なんて噂もありましたけど、それすら演出だったのかも。“26歳のときに高校の同級生と結婚して、子どもに孫までいる”なんて話を酒井さんがポロッと口にしたことがあったし」(同・元同僚)
冒頭の音楽プロデューサーに「孫がいる」という本人の言葉をぶつけてみた。
「それは冗談ですよ……とは思いますが」
最後まで虚構と現実のはざまを生きた人だった。