しかし、渡部の場合は不倫だったが、今回の歌舞伎役者の件は、れっきとした犯罪。そもそも、人の心理観点から見ても、商業施設のトイレは犯罪に利用されやすい面があるという。
「犯罪の機会を減らすためには、(1)領域性(2)監視性(3)抵抗性を高めることが必要と言われていますが、商業施設のトイレは(1)と(2)が低いんです。領域性というのは、いわゆる“入りやすさ”のこと。誰でも利用できるとはいえ、トイレの入り口からさらに男女で別れるようなタイプは、境界線がはっきりしておらず領域性が低い。
(2)の監視性は“見えやすさ”。商業施設のトイレは奥の方に設置されていることも多く、当然トイレの中には監視カメラもありません。入りにくい、見えにくいという意味では、犯罪の温床となりやすいのです」
なぜ、私たちは許せないのか
どちらにせよ、「トイレで」というのはインパクトが強く、好感度が重要となる芸能人ともなれば、そのダメージは計り知れない。渡部に関しては不倫発覚から1年以上経つが、いまだ世間が許す気配は見られない。
「とくに“和をもって尊し”の精神をもつ日本人は、社会の一般的な秩序や道徳観念が外れる行為に対して、かなり冷ややかな視線を送ります。そのため、道徳観念を捨ててまでトイレでの性交渉が出来てしまう鬼畜な人格に対して、気持ち悪さを感じてしまうんだと思います。
しかし、2人がそうだったとは決して言いきれませんが、もし2人に何かしらの依存性があったのならば、不健全さから『早くやめなくてはいけない』と普段から思っていながら、やめることができず、イラつきや自責の念、葛藤などを感じて苦しんでいた時間もあったことでしょう。そういう意味では、バレたことで“やっとやめることができる”とどこかホッとした気持ちもあるかもしれません」
欲求のままトイレを「現場」に選んでしまった2人。その悪行は、そう簡単には水に流すことはできなさそうだ。