雅子さまの回復のために尽力しただけではない。
皇室のトラブルにも奮闘
「'10年3月、小学2年生だった愛子さまが、同級生からの“乱暴”に不安を感じ、学校を休まれていることが明らかに。この問題と向き合い、解決させるために奮闘していたのが野村さんなのです。
問題が解決する前に宮内庁を去るのが心残りだったのか、'11年に東宮大夫を退任し
た後、翌年まで御用掛に就任。愛子さまがお1人で通学されるようになるのを見届けたときは安心したご様子でした」(侍従職関係者)
ご一家を約6年にわたって支えた野村さん。'19年のお代替わりにあたり、NHKから取材を受けた際、雅子さまのご活躍をこう喜んでいた。
「お仕えした当時と比べますと、お元気になられて実によいスタートを切られたと受け止めています。ご無理をされることなく、引き続きお健やかにお過ごしいただきたい」
困難の連続を支えてくれた恩人からのメッセージを受け止め、雅子さまは日々の公務に励まれている。野村さんの訃報を受けて、真っ先に弔意を伝えられていた。
「両陛下は野村さんのご自宅に白いユリを中心とした供花を贈られました。白いユリの花言葉は“純潔”。雅子さまは、苦悩の日々をともに歩んだ野村さんに向けて、皇后として大切にされている清らかなお気持ちを示されたかったのだと思います」(同・前)
“国母の誓い”を受け取った野村さんは、これからも天国でご一家を見守り続ける─。